町に吉高由里子があふれている。

今日は車内広告の吉高由里子の横の車窓から駅のポスターの吉高由里子がのぞいていて、家に帰ったら吉高由里子が表紙の雑誌が届いていた。雨後の筍なんて見たことないが、日本はいま、吉高まみれである。

ぼくはあの人の人気は、全身ギャップまみれ、なところにあるとにらんでいる。

よく「あたしってギャップのある人が好きなの」ということを言うやつがいるが、そういう人に限って、温厚そうな顔したDV男と、泣きながらつきあっていたりする。往々にして、人はギャップあるいは落差が大きい人に弱いのである。

で、吉高。彼女こそギャップの女王なのである。

まずはあの口調。

実は吉高は、あんなにデレデレした口のきき方なのに敬語をちゃんと使うのである。年がら年中、過ぎたアンニュイを醸し出しているのに、目上の人に絶対タメ口なんてきかない。たえず浮遊感を垂れ流しているにもかかわらず、ちゃんと敬語を使って上下関係も直線距離もきちんと演出する。先日、笑っていいとも!で藤原紀香がなぜかタモリを相手にひたすらタメ口で話す場面に日本中が面食らったばかりなだけに、そのインパクトはでかい。

さらに、ぼくは彼女のフィジカルに瞠目した。

近年、食生活の影響かイカリ肩の女優さんが激増している。特に目立つ美人の女優さんは軒並み肩がアメフトだ。しかし、吉高。物事に臆さぬ今風の女の人だけに、と思って全身を見て、ハッとする。

なで肩だ。

ショルダーバッグなんてずり落ちる。キャミソールなんて大変なことになる、と否応なしに想像させる。

そして、とどめをさすのは、あの顔である。

色白で柔和な顔立ちなのに、なぜかいつも

「挑戦的なお雛様」あるいは「狂った博多人形」

みたいな顔をしてみせる(ちなみに、北川景子は「夜のお雛様」だとぼくは思っている)。

なにからなにまでギャップ。ギャップの女王。
で、いつになったら、ぱりぱりっと喋るようになるのだろう。人はギャップ好きだが、そのギャップに飽きるのも早い。