スターになりたい人はいっぱいいる。

将来の夢は、と新人歌手なんかよく尋ねられるが、

「親に家を買ってあげたいです!」(演歌の人に多い)

「武道館を一杯にしたいです!」(ロックの人)

「フェラーリに乗りたいです!」(赤いものが好きな人)

などなど類的的な答えはいろいろあるが、いまだに

「いつかロウ人形になりたいです!」

という答えにはであったことがない。

だが、あれは確実にスターの証しではある。

証しにはいろいろあって、ジョン・レノンがロールス・ロイスに乗ったり、フィル・コリンズみたいに農園を買ったり、クラプトンみたいに潰れかけた洋服屋さんにポイッとお金を出して店ごと買っちゃってオーナーになったり、スターの印籠はさまざま。

一方、負の証しもある。たとえば、パパラッチ。プライバシーがなくて気の毒だ。だが、

「パパラッチを追いかけ回すパパラッチを雇う」

ことでスターはパパラッチから開放されそうなのに、そういうことをするスターはいない。スターはなかなか難しい。

で、蝋人形である。正か負かは知らないが蝋人形はステータスの証しではある。


マダム・タッソーの蝋人形館は19世紀にロンドンで開館した。幼いタッソーさん(旧姓グロショルツさん)は、フランス人の母親がメイドとしてつとめていたスイス人の医者から蝋人形の作り方を教わった。最初に作ったのは、甘いマスクに似合わぬロックな発言が目立つボルテールの蝋人形(渋い人選)だったらしいが、それから紆余曲折(といってもずっと順風満帆)へてロンドンにあの館を開いた。

大学生の頃、魚の目を削り取りにいった病院の待合室で、白いジャージおじさんから

「盆栽を教えてやる」

としつこく言われたが、あのとき断らずにいたら、ぼくも今頃は「加藤ジャンプの盆栽館」のオーナーになっていたかもしれない。惜しかった。

で、その蝋人形館がお台場に期間限定でできた。ニコール・キッドマン様とかジョニー・デップとかレディー・ガガとか、マイケル・ジャクソン、ヘップバーンなんかがいる。スターの殿堂である。

今回、日本からは、人選の過程は明かされぬまま坂本龍一さんと葉加瀬太郎さんと鉄腕アトムさんが選ばれた(これから順次二名ふえるらしい)。アトムさんは兎も角、人間の二人は音楽家でいつも白黒の服装の男性だ(アトムさんも黒と肌色。白黒みたいなもんだ)。そして、葉加瀬太郎さんは開館に先立ち本物と一緒にプレス公開に登場し、嬉しそうに笑顔をふりまいていた。いい人に違いない。
それにしても蝋人形。ものすごくリアル。
……けれど、なんか違うのである。
人形だからと言ってしまえばそれまでだ。だが、そっくりには違いない。黒雲みたいな葉加瀬太郎さんの髪の毛一本までソックリ、リアルではあるのだ。しかし葉加瀬太郎さんの「音楽界の京塚正子」的なものが全然伝わってこない。 なんじゃこの違和感は?


…そもそもリアルってなんだ?


昔、肖像画を描くのは命がけだったはずだ。特に戦国武将はこわい。功なり名遂げた上に、元来血気さかんなモノノフ注文主である。精緻に描き過ぎて

「おい絵師、余はそんな顔じゃなかとよ。手討ちじゃ」

なんて平気で抜かしてもおかしくはない。手討ちまでいかなくても、百叩きくらいは当たり前だったに違いない。
でも、ほんとのところ、「リアルにちょい足し」という匙加減が、描かれた人も見る人も幸せなんじゃなかろうか。 ただ似てりゃいいってもんでもない。要するに、作る人の気持ちってのがないとダメなんじゃないの?と思ったりして。


そして、タッソーの蝋人形@お台場である。

リアルさは肖像画どころではない。なにしろ立体だし。リアルにもほどがある。

で、今ぼくはこのブログをヨレヨレのTシャツをスウェット短パンにインした姿で書いている(この前テレビに出ていた蛭子能収さんのカジュアルスタイルに非常に近い)。これを蝋人形にする場合…。ますます「リアル」の価値に迷うのであった。