迷惑メールの件名を読むのが好きで捨てる前に一応確認してしまうのだが、今朝の出色の作品は

 

OL is good

 

端的に好みを表していて、てらいがない。こういうのはいい。でもメール開封まではいかない。まだまだだ。

昔旅行にいったシドニーで、おじいさん二人がカプチーノについて大げんかしていて、片方がカプチーノが好きで片方はエスプレッソが好きだという、別に好みなんて人それぞれだからいいじゃない、と思えばそれまでの議題について激しい舌戦を繰り広げたあげく、カプチーノ派の老人は最後に大声で

 

「カプチーノ is good!」

 

と捨て台詞を残して席をたったという現場にでくわしたことがあったが、そんな二人はしこたまオーストラリアのアルコール度数のいささか高めのビールをしこたま呑みながら戦っていたのであって、当の戦場では、ただの一滴もコーヒーは呑まれていなかった。

ストレートな表現というのは大人になるにつれだんだん敬遠しがちな気がするが、まあ、たとえ瑣末なことでも、それなりに年輪なんてものを重ねると考えそのものがそれほど単純明快な論理にもとづかなくなるという理由のほかに、あんまり単純な物言いをすると「こいつ素朴」とか思われるのが癪だったりするという真逆の理由もまたある。本題の100キロくらい手前から説明がはじまり、頼むから結論から言ってほしいと強く願う場面はよくあるが、そこまでいかなくとも、だんだん言い回しやら文章がくどくなっていくのはいかんなと、迷惑メール一通で自戒してしまったのである。だが、過ぎたるは…であって、超がつく端的というのも困惑させる。かつて友人の5歳になるお嬢さんが

「ナゾナゾやるから答えてね」

と言い出したので、二つ返事で待ち構えていると

 

「コップの中身はなんですか?」

 

という。たしかに謎はあるものの、これは明らかにナゾナゾの範疇ではないと思ったものの、そんなことを言っても通じないのが子どもなので、当時は俺も強要範囲が今以上に狭かったので、

「チンザノ」とか「カンパリ」とか「マティーニ」とか言い続けてやったが、相手は少しもこりずに「ブー」「ブー」と不正解を表す擬音を口にしつづけたのであった。