最近、ハードボイルドなのである。

今日は暑かった。おれは取材で鎌倉に行き江の電に乗った。
週末。晴天。春。条件はそろい、車内は観光客で鮨詰めであった。窯茹で状態。

満員電車の中、暑くて酸素は希薄。薄れゆく記憶の中で、
頭上からフランス語らしき囁きが聞こえた。
「ジュテーム」みたいなやつである。まあ、フランス語の囁きは何を言っていても恋愛沙汰に聞こえるのだが。
とうとう、聞こえてはいけない声が聞こえてきたか。すわ、一大事…。

災厄の予兆?はすでにあった。
電車を待っていた4人の親子連れが全員マンガを読んでいた。なぜアウトドアでマンガ?幻覚だったのか?

話はまたしても変わる。
仕事でハードボイルド小説のことを調べている。
固ゆでにすればタフになる。それが語源なわけで、主人公は基本「我関せず」でやりたい放題。
真似したら大変なことになるが、たしかにかっこいい。固ゆで大好き。
だが今日は鎌倉の海岸で、幼児が固茹で玉子を手でグチャグチャにして食べている光景に出くわした。
たしかにハードボイルドの探偵は皆、独身を貫く。当然である。
翻っておれは、好きに茹でてちょーだい!と常に思っている。Mではない。追求しているのは茹で方ではなく、ヨード卵とか有精卵とか中身なのだと遠吠えするのであった。

再び江の電。
天井からの声は、まだつづいていた。
英語でいわゆる決定的瞬間をmoment of truth、というが、これはel momento de verdad というスペイン語の訳で、そもそもは闘牛士が牛にとどめを刺す瞬間を言う。暑い車内、天から降り注ぐ囁きに、おれ版「午後の死」がやってきたかと戦慄していた。
やがて江の電は終点に到着。
あれ?
ピンピンしている。おまけにドアが開いたら、涼しい風が吹き込んですこぶる快適になってきた。そういえば声も聞こえない。救われた…
気ずくと愛の囁きが少し前方から聞こえるではないか。
見れば2mを越すフランス男(と断定)がひらひらとリゾートファッションを纏い、傍らの小柄な女性を必死に口説いている(ように見えた)。その体躯とは相反するように、口調はあくまで優しく、流石である。やるなピエール(仮名)。

おれはダチョウの玉子のオムレツを取材したことがある。ふわふわであった。玉子は玉子である。
それは、まさに眼前のピエール(仮名)なのだった。断じて固茹でではなく、デカいオムレツ。ついでに言えば、件のダチョウオムレツには真っ黒なドミグラスソースがかけられていた。それはノワール。
つまり、今おれはハードボイルド一色なのであった。