先日、新宿にあるBook Unionの大八木さんとコの字酒場へ行った。大八木さんは僕と同い年で、根っからの本好きで音楽好きだ。しかも最近、お子さんが生まれたばかり。僕も初めて父親になってから1年もたたない。呑みながら互いの愛息の写真をしばらく見せ合い、どれだけデレデレかを語り合った。これだけで確実に一合はいく。


さて、世に「ママ友」なる言葉が横行するようになってどのくらいたつのだろうか? 僕の周囲では、誰も盗んだバイクで走り出さず、割と穏やかな人達に囲まれてきた(といっても電話ボックスを粉々にしたり、プールの更衣室を酒びたしにしてしまったり、信号機を倒したやつなどはいた)。同級生で初めて子をさずかったのが出て来たのが、たぶん27歳くらいだったはずで、それが飛び抜けて早く、あとはだいたい30過ぎに父親になった。まあ、10年位前からぞくぞくと同級生が父ちゃんになったわけだ。その頃にはなんとなく「ママ友」なんて言葉を仄聞していたような気がする。そして僕も父になり、その立場はどうなるのかちょっと気になる。果たして「ママ友の旦那」、転じて「ママ友の旦那同士は皆友だちだからやっぱり友だち」あるいはそのものずばり「パパ友」なるものとつきあっているかというと、そんなことはまだ全然ない。この先は、わからない。


まあ、何をきっかけに友だちになるのもかわまないが、なんとなく不思議な感じがするのは、たぶん「ママ」と「友」という言葉のせいだろう。我が家は、メリハリも控えめな日本的顔には「ママ」も「パパ」も似合わないので「お母さん」「お父さん」と呼ばせるつもりだ。だからこの先、「◯◯パパさん、どうぞこちらへ〜(◯◯には子供の名前が入る)」なんて呼ばれても絶対に反応しないと決めている。僕は僕だし、パパでもない。

ふと思い出すのは、会社の同期で一つ年上の辣腕編集者Qが言っていた言葉だ。Qは26で父親になった。

「こどもが同い年ってこと以外共有することがない人と友だちになんかなれるか」

今さらながら名言だと思う。同い年の子を持つ親だから自動的に誰もが友だちだ!…なんてわけがない。友だちはそんなものではない。


で、新宿のウナギの串屋カブトでその夜の宴をはじめた大八木さんと僕は、子供の自慢をしつつも、結局はいつもどおりthe whoやら秋刀魚を食べながら小津安二郎に言及し、岡田茉莉子に「ココあたしんちなの」なんて鮨やに連れていかれたいなんて話していたら終電間際になってしまった。この先もお互いの倅の自慢をしあうし、子連れで会うかもしれないし、子供について困惑する場面に出くしたら、結構話しあいそうな気はするが、それは「パパ友」もなんでもない。友だちに子供がいる、それだけだ。