加藤ジャンプの徒然ジャンプ

文筆家・加藤ジャンプの日記 〜コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、09年からお客さん参加型『即興小説』やっています。 kato_jump115*ybb.ne.jp(*を@に変えて送信ください) ノンフィクションライター白石新のお問い合わせもこちらへどうぞ。

ごくごく最近の加藤ジャンプ:
*週刊朝日書評ページ『最後の読書』書きました
*dancyu東京特集で『立ち飲み番付』書きました
*dancyu 酒場特集で『きたやま』さんのことを書きました。
*テレビ東京系『二軒目どうする?』に出演しました〜
*HAILMARY magazineで毎月『終着駅でギムレットを』連載中
*ウェブ漫画「今夜は『コの字』で」を集英社インターナショナルHPで連載中(原作担当)http://www.shueisha-int.co.jp/
*dancyu中華特集で『味坊』さんのことを書きました。
*新潮社「考える人」で折り紙サークルについて書きました。数学の話デス。
*ALBAのノンフィクション、町工場で復活した伝説のクラブ屋について書いてます
*ALBAのノンフィクション、障害者ゴルフについて書いてます
*すみだ水族館「夜のスズムシ〜すみだ虫聴き〜」クリエイティブやりました。
*文化放送”くにまるジャパン”でコの字酒場のことをおしゃべりしました!
*すみだ水族館イベント「ウミガメQ」企画クリエイティブやってます。
*J-WAVE "GOLD RUSH"でコの字酒場のことをお話させていただきました!
*Free & Easy 7月号でもてなし料理を作ってます。パエリアとパスタ。そのレシピと使った調理器具が渋谷の東急ハンズでコーナー展開中です。
*dancyu7月号「記憶に残る名居酒屋」でコの字酒場の三四郎を紹介させていただきました。
*週刊現代5/11・18ゴールデンウィーク合併号『竹中直人さんインタビュー』素敵。この一言につきます。
*アルバ4月11日号『地図に載っていないゴルフ場 〜五島列島・小値賀島、浜崎鼻ゴルフ場の人々〜』
 五島列島にある島に島民自らが作ったゴルフ場があります。それはただのゴルフ場ではありません。自立のシンボルなんです。
*すみだ水族館 「すみだ水族館があなたの夢をかなえます〜ペンギン研究員〜』クリエイティブをやらせていただいてます。
*dancyu『日本一のレシピ』〜最強のポテトサラダを作る〜再掲載 見逃した方、ぜひ。むせかえるポテトサラダ実験の涙のレポートです
*Free & Easy 6月号 男のもてなし三ツ星料理 もてなし料理3品、作ってスタイリングして書きました。

2011年10月

写真-3気がついたら家の中が熊だらけになっている。

剥製とかではない。もちろんムツゴロウ先生みたいに生で飼っているわけもなく、どれも人形だ。陶器と木製。国道沿いの味噌ラーメンの店なんかによく置いてあるシャケをくわているヤツではなく、はるばるヨーロッパからやってきた小洒落た陶器連中と一匹だけ阿寒湖で飼った木製のがいる。他にもいるが、今ぼくの傍らで卓上「熊牧場」を形成しているキャストは以上の4頭である。

特に熊が好きだと意識したことはなかった。むしろ、自らの熊化が進行しているせいで熊には軽い近親憎悪もあったのではなかろうか。

しかし、ふりかえると雑貨屋で目があうといつも抗えなかった事実が思い浮かぶ。棚の上のほうに、置いてある熊といきなり目があって、即座に購入という事案がほとんだ。

考えてみると、どの熊もかなり高い棚に置かれていた。売れ残っていたのかもしれない。その傍らにいたカバとか鳥なんかは全然目があわず、熊だけ目があった。

昔から、野外で熊に遭遇した場合、そうっと離れるとか、死んだふりをするとか言うが、目をそらさないというのも聞いたことがある。おそらくは目があった瞬間、ぼくはそれを自動的に実践してしまっているのだろうか。それにしてもナゼ、視線より上に置かれた熊と目があうのか……

よくよく家の熊達を観察してみてわかった。

 

みんなうつむいている。視線を落としてうなだれている。ハチミツよりも辛酸をなめているたたずまい。そして共有される哀感。

 

だから上のほうにディスプレイしてあるやつらと目があってしまったわけだ。ああ、なんという心理戦。結果、ぼくは目をそらせずに買ってしまう。

 

そんな彼らは今は腰の高さの台に置かれ、揃ってうつむいている。目があわないはずだが、ぼくもよくうつむくので、結局目があってしまうのであった。

町田の市立博物館というところで切り子や昭和のカットグラスの展覧会をやっていていそいそと出かけてきた。

日本のカットグラスの類が一番隆盛したのは昭和の10年頃、それ以降は戦争のために平和かつ民生品のガラス製品製造はどんどん規模を縮小していったんだそうだ。

で、そのピークの頃に売られていた佐々木硝子とか岩城とか今や世界的大メーカーの当時の量産品のグラスやコンポートなんかが展示されているのだが、これが揃いも揃って信じられないくらい意匠が簡潔で近代的で美しい。当時の世界の潮流をまともにくらっているのだろうが、それでもどこか日本的な、つまりはクリスタルガラスなんだが、どことなく東北の刺し子の柄みたいに、正確だけどれ柔らかな意匠のせいで、グラスを透かして見える世界観が障子や格子戸を通した世界に通じるような、まあそんな出来栄で、

「全部欲しい…」

と不遜な欲望を捨てるのに必死にならざるをえない。

当時のカタログも出品されていて、そのコピーなんか

「これらをお使い頂くことを切に願います」

記憶で書いているから若干異なる可能性もあるが、「切に」の文言が書かれていたのはたしかである。それにしても、当世のカタログでそこまで必死に懇願するコピーは見たことがない。昭和の初めの感覚ならそこまで差し迫った雰囲気ではなく単にveryだったのかもしれないが、なんだか、コレを眺めていると、作り手達が必死に「今じゃないと買えないよ。じき作れなくなるよ」とどこか感覚的に迫り来る時代の荒波を感じてたんじゃないかと思わせる。で、ひるがえって、現代の製品に

「切に」

と消費者に願いでて恥ずかしくないものがどれだけあるのかな、なんて偉そうなことを考えつつ、帰宅後、殊勝な想像だったはずの「今じゃないと買えないよ」という台詞をただの言い訳に転じて、30年くらい前の皿を一枚ネットで買ってしまったのだった。

  本を読んでいたら「嚔」という漢字が出てきたが恥ずかしながら読めずに字引でひいた。画数で引こうと思ったが、間違えているみたいで見当たらない。そのうちに面倒になって、とりあえず付箋を貼ってわからないままに飛ばして読んだが、どうしても気になる。わからない字があるときは脳内で適当なよみがなをつけるが、その場合はほとんど見た目で決める。つまり「逆象形文字」である。

 口がくっついているし、アレに似ている。それで

「嘘的な」

 という仮名を与えたが、前後の文章との関係性から「嘘的な」はまったく当てはまらないことはわかったが仕方ない。そのまま読み進めようと思ったが、どうにも気になる。で、他の読み方を考えていたら、形が

「土瓶蒸し」

 に見えてきた。口が注ぎ口で上のところがちょうどフタに見える。だが、「どびんむし」は「土瓶蒸し」なんだから「嚔」ではないだろうが、膾なんて字もあるし、あ、洋膾なんて書いて「マリネ」なんて読ませたらいいかも、などと益体ないことまで思い及ぶ。

 結局気になって読み飛ばせず、ふたたび画数で調べたらちゃんと出ていて

「くしゃみ」

 なんだと。そういえば昨夕は木枯らしなんか吹いて挙げ句風邪までひいたぼくだ。

 くしゃみ一つして土瓶蒸し恋しい季節来る、

なんてわけで、ようやく秋がきたんだと思った次第。

改札を出ていきなりタバコのにおいが漂う町が他にあるだろうか。

神田駅の改札を出るといきなりムオッとタバコの臭いがしてきた。千代田区なのに。それが神田なのだ。
 

入稿を終えて、とりあえず一息。そこにちょうど古い友達も時間があいてるという。平日の明るい時間から中年男二人が同時にヒマ。同業の同い年の友達とこういう日程がかさなるのは、85年にハレー彗星と阪神優勝がかさなったのと同じくらい珍しい。午後4時に待ち合わせ。神田駅。

時間に遅れたぼくを彼が待つのは「ブラジル館」。館林のキャバクラにありそうな名前だが、そこは神田。無用にひねったりせず、ブラジルと言ったらやっぱり喫茶店なのである。店の外で彼を待つ。ガラス張りの向こうの店内の8割が背広。スーツではない。あくまで背広。ドアが開き、同期入社ですでに中堅のアッパー組になりつつある友人Mくんが姿を現す。あの店内においては、あと数日で四十路に入る彼も若年もいいところ。

そもそも何故神田で落ち合ったかといえば、脈絡はほとんどない。ただ、

「そろそろ神田じゃね?」

若者風に言い合い選んだ先がそこだったわけで、つまりこれからどっぷりとビンテージになっていく二人は、男の聖地・神田巡礼に出たわけである。カンタベリー物語ならぬカンダベリー物語なのである。

さまざまな装飾を取り払うと、要するに「明るいうちから飲みたい」という原初の欲求を満たさんとしたわけだが、せっかく神田に来たんだから散歩しようということになり、ふらふらと歩く。筆を扱うお店で印刀(篆刻用の小刀。篆刻なんてできません。かっこいいから買いましたけど何か?)、和竿屋(地下にある。どうやって竿をふりまわすのかわからない)、グリフォンだらけのかっこいいビル(Mくんは建築刑事みたいな人なので、こういうビルなんかについていろいろ教えてもらえて実に愉快なのである)、売る気のないペルシャ絨毯店(どう見てもストックの把握は不可能に見えるほどラフに置かれている)などセルフタモリ倶楽部な雰囲気をだすなか、ついに見つけた店。それが睫醉化硝子店であった。理化硝子。もはや説明の必要もないほどに明らかだが、要するにビーカーやメスシリンダー(なんとセクシーな名称をあたえられた器具だろう)などを扱う店なのであった。乳鉢なんか、田舎のばあさんが山芋をすってるすり鉢くらいでかいヤツまである。何人分毒薬が作れるのか考えるだけでわくわくする。そんな中、ぼくたちの気をひいたのが、スターラーであった。スターラーなんて名前知らない、が要するにミキサー、カクハンする機械である。ビーカーをのせて中に入っている溶液をまぜる。しかもバーゲン中。1万円ちょっとの価格。そのプライスがどれほど値ごろなのか微妙に理解しきれないが、一目見て所有欲が沸点に達した二人して口にしたのは

「お酒混ぜたい」

要するに飲みたいことを今更ながら自覚した時、すでに日は落ちて看板のネオンがまぶしく男のディズニーランド神田のエレクトリカルパレードがちょうど始まったところであった。蕎麦を食おうとまつやを目指したぼくらは満面の笑みをうかべていたに違いない。




 友達がぞくぞくガッチリアラフォーに固定されつつある中、酒の席での話題に健康や葬式とか相続がふえてきた。

 健康に関しては、いまのところ、第三位頭髪、第二位痛風そして堂々の第一位が肥満問題である。で、腹のことは当然だが、最近、特に男達の間で問題になっているのがボイン問題である。

男の太り方にはどうやら二通りあるらしく、一つはひたすら腹が出る「男道一直線型」だ。精神的理系男性に多いとにらんでいるが、その考察はおいおい。

もう一つのタイプ、それは「オジオバ・ミクスチャータイプ」とも言えるもので、以前は太っても胴回りが増えていたが、おそらくはウェスト近辺の巨大化が一時的に飽和点をむかえ、脂肪達がお胸の周りにお集りになる太り方。友人にはそのタイプが多い。文系やさしい乙女おじさんが多いからである。

で、四十男の胸はいきなり豊満になる。いや、一朝一夕に豊満になるのではない、ただただ気づいたら「誰、こんなところに雪見大福置いていったのは?」なあんばい。いわば
 

「サイレント巨乳」


の脅威である。女性のサイレント巨乳はいわば「主張なきボイン」であり、社会的にも大歓迎されている。しかし、男の場合は何の役にも立たない。黙殺してほしいが、今日の服の傾向では目立つばかりで、これに対してぼくたちはなす術がない。腹はまだいい。力をいれれば少しは凹むし息をしなければある程度はひっこむから写真の時なんかはこれで対応する。窒息寸前まで息をしないことをくり返せばいい。

一方、ボインは力のいれようがない。胸をはってみても、グラマラスなのはかわらず、なにより今風の服では変身寸前のデビルマン状態になってしまう…

などと語り合いながら、結局唐揚げ2皿くらいたいらげているぼくらは今、着々と
「サイレント球体」

への道をひたはしっていることに気づいていない。


ライオンズが大好きで、といってもデトロイトではなくパ・リーグのこと。なんとまあ、1毛差で3位にすべりこんで、チャンピオンシリーズなる勝ち抜き戦に出られることになった。この変則プレーオフ制度ができて、昨年はやっぱりパ・リーグで3位だった千葉が日本シリーズへの出場権をつかみ、セリーグ優勝して堂々日本シリーズ出場権もつかんだ名古屋と対戦したらバッチリ勝ってしまった。トランプの大貧民みたいな日本一だなあ、などと完全に他人事で眺めていたが、今年はわがみのことに。贔屓のライオンズにぜひ、3位から日本一になっていただきたい。いや、必ず果たす。

で、昨年、3位から日本一になった千葉を評して「下克上」なる言葉がスポーツ紙面を舞踊っていたのを思い出した。しかし考えてみれば随分失礼な話で、別に千葉は順番が3位だっただけで、身分が下なわけじゃあない。PL学園が日本シリーズに出て中日ドラゴンズに勝っちゃったりしたわけでもないんだから下克上なんてどうも相応しくにない。せいぜい、「漁父の利優勝」とか「ニュアンス日本一」「なんとなく日本一」とか、まあ、そんな感じ。たしかに、ぶっちぎりのリーグ優勝そして日本一は全員納得だろうが、痛みを知ってるちょっと可愛い日本一だっていいじゃない!いけ、ライオンズ「気がつけば日本一」になってくれ!

 ついに寝てても点数をつけられる世の中になってしまった。

 低反発枕という、頭をのせると非常に緩慢に沈んでいくのが低反発たる由縁なのだが、最近、低反発というよりは無反発になってしまい、沈んだ頭がそのままズルズルと落ち込んでしまう。頭の重量がここ最近急激に増加したとも思えず、むしろ脳もスカスカして重量は微減しているぐらいだろうから、要するに枕が寿命をむかえつつあるのだろう。買い替え時だ。入稿したし、枕を探してうきうきしながらネットサーフィンしていたら、

「睡眠計 スリープスキャン」

なる商品を発見し驚愕した。ベッドの下にしいておいて、寝付きの時間、深い睡眠の割合、途中何度目が覚めるかなどを計測した上に、それら一切を総合評価する「睡眠点数」なるものまで示してくれるという。しかもデータはパソコンで集計することができて自分の睡眠がどれだけダメかどうかビジュアル的に思い知らせるのだそうだ。要するに家庭でためしてガッテンを実践する機械みたいなものなわけだが、果たして睡眠に点数なんかつけられて人は眠れるものなのだろうか?

緊張して眠れない夜の代表例といえば、遠足の前夜、初めての◯◯◯の前夜とか、そんなところだ。あとは試験の前夜。これも準備万端であっても、なかなかガーガー眠れるものではない。だが、睡眠点数なんてつけられるということは即ち「睡眠試験」を毎晩ためされているに等しいわけで、

「明日の睡眠点数を高くするために今夜は徹夜だ!」

とか

「絶対満点とってやると思ってたらギンギンになっちゃった」

とか

「よく寝るために今夜はアレためそう」

という事態に陥ることは容易に想像がつく。そして、このスリープスキャンによって及第点をとれない人達は

「睡眠おちこぼれ」

となりかねない。体重計の会社の製品だから数値はきっと正確で的確に自己の睡眠のレベルを認識させることは間違いない。ちなみに注意書きには

<2人以上やペットなどと一緒では正しい計測はできません>

と書かれている。
少子化を進めるつもりか?


とまれ、なんなんだろうこの機械の存在意義は。眠れなくなりそうだ。

コンシェルジュに迎えられロビーを抜ける。大きな花瓶に花がいけられている脇をぬけてエレベーターにのる。

ドアベルを鳴らしてすぐに中へと導かれた。

広い玄関にはコノ字状に並んだおびただしい靴。彫刻みたいに丹念に模様が並ぶフルブローグ、昔の信楽みたいに深い茶色のロングブーツ、ポタージュみたいきめ細かでしなやかなレザーのスニーカー……年老いたホテルマンだったら、一見して背筋をのばして襟をただすような、靴ばかり。靴を作った職人が、このサイズを想定して試作したと思わせるくらいにバランスのいい大きさ。傍らには、服がかかっていて、背が高い細身の人が着ている光景が眼に浮かぶ。

リビングは重厚なカーテンをともなった全面窓でバルコニーには緑、緑、緑。東京の中心とは思えないほどの静けさ。

あんまりじろじろ見回すわけにもいかなけれど、思わず首も目もくるくるまわってしまような魅力的な部屋。調度品はすべて一見して、すばらしい出来のものばかり。穏やかな色の壁紙と家具のマホガニーの色がぴったりとマッチしていて、空気まで遠い国のそれになったような感覚になる。
ビロードの紺色のクッションには金糸で刺繍が施されていて、その意匠が家の持ち主のはいているルームシューズとお揃いになっている。

ソファの座り心地は、英国のマナーハウスにあるそれのように、しっかりしていて、心地いい。

ちょっとよそ見しても、手に取りたくなるものに囲まれていて、部屋にいるだけでうっとりしてくる。無造作に置かれた洋書の料理本。昔の家族写真。この家の主のポートレートをおさめた写真立て。

二十年以上お会いしたいと思い続けてようやくかなった時、ご自宅でお話を聞けるなんて幸運にめぐまれ、部屋に入れていただいた時はもう心地よくて心地よくて、センスってなにか、いっぺんで教わった気がした。


今日は10月16日。偉大な音楽家が作った素敵な音楽をたくさんかけよう。

散歩を邪魔するものがいる。


あいつだ。目のまわりが貝殻みたいな濁った白、首の周囲が紫と緑なんて色がまざって微かにメタリック、体全体はグレーフランネルみたいな柔らかそうなカラーリングのあいつだ。


平日の昼もアポがなければブラブラしたって構わないフリーランスの身だから、拙宅の北側を流れる川沿いの遊歩道を真昼間に散歩するなんて酔狂もできる。ぶらぶら歩いて、くたびれたら遊歩道から河原をむすぶ階段に腰掛けてぼうっと一休みなんてこともできるが、邪魔なのがいる。この時間、散歩できる人なんて限られているから人影はまばらだが、そんなときも団体で行動する奴ら。

鳩だ。

突如、対岸から数十羽の大群が姿を現し、しばらく頭上を旋回した後、ぱらぱらと着陸する。首をひこひこさせながら少しずつ距離をちぢめるが、こちらムッとした顔を向けると、ちょっとだけ避ける素振りを見せる。かといって去っていくこともなく、あっちへふらふらこっちへふらふら、鳩のくせに千鳥足。ああ、もう、と休むこともままならずぼくはその場を去らざるをえない。


歩を進めて行くと、またしても邪魔者があらわれるが、こいつも空を飛ぶ。ひらひらと目の前に突然姿をあらわし、色とりどりのあいつ。

蝶だ。

こちらが逃げても追いかけるように後をつけたかと思うと、急に方向転換して、突然、体にとまろうとしたりする。色はたしかに奇麗かもしれないが、ようく目をこらせば、羽の間には厳然として幼虫時代の名残り、というか芋虫に羽がはえただけで、どこがいいのかわからぬ。こいつもあっちへふらふらこっちへふらふら。ああ、もう。


いずれも優柔不断な動きがゆるせん。


先日はやたらに鳩に餌やりをしている人が同時刻に何人も出没するという惑星直列みたいな忌まわしい時間帯に散歩に出てしまい、挙げ句時期外れのモンシロチョウに顔面を直撃されそうになってすっかり散歩のやる気をなくし、したかなく帰宅の途についた。腹いせにビールでも飲んでやろうとコンビニに寄ると、秋口になって各社がさまざまな季節限定商品を並べている。冷蔵庫の前であっちへいったりこっちへいったり…刹那、週刊ベースボールを片手にした青年が「秋味」を凝視するぼくに一瞥をくれると、「午後の紅茶」を奪うように持って行った。

一番優柔不断なのはぼくなのか…なんて思わせるから鳩も蝶もますます好かんのである。

同級生とあうと毛の話題がふえた。

年だからあたりまえだ。


最近、育毛シャンプーの種類がふえている。いや前からあったのに気になるようになっただけなのかもしれない。いずれにせよ不惑をむかえたら、もうこれは避けて通れない。まだとりあえず大丈夫だが、これから先どうなるかわからぬ。先手必勝だ。
 

これまで、先のことを考えずに、「白い丸」と表現すれば事足りる自分の顔をなんとか記憶してもらうために「帽子キャラ」を通してきた。いまここで毛髪によいシャンプーをなんとか見つけたい。

だから真面目に育毛シャンプーを探す。要するに「ハゲ止め」である。各社さまざまな成分をうたっていて、選ぶのに困る。

問題は

「いろいろ試してみて」なんて、化粧品やお米みたいなことができないことだ。ハゲ止めは流暢にはやっていられない。

後退は前触れも無く容赦なく訪れる。先人も先輩も同級生も後輩も、皆口をそろえて言うから間違いない。

だから、男にはいろいろ試している暇はない。「いやあ、まいったよ、アレを使ったら減っちゃったよお」などということが実際におこった場合、本当にそうだったとしても、誰もが「言い訳」としか考えない。

しかも、一度そうなったらまずカムバックはムリだ。

ハゲ止め系シャンプーはいわば真剣を使った殺陣みたいなものである。リハーサルはできても失敗したら後戻りはきかない。

お笑い芸人の人達がそろって出演している、先駆的存在のシャンプーを買ってみたが、ものすごくごわごわになる。しかも朝晩2回ずつ合計4回のシャンプー、とか徹底的に洗い流すとか、細々と使用者に行為を強要してくる。

「うちは今日一番おいしい酒しか出しません」

とか言って客に飲みたい酒を飲ませない店があるが、あれに近い感覚をおぼえる。ぼくはそういう店には行かない。

したがって、あのシャンプーはだめだ。だいたい、そこまで毛に気をつかっていたら、

「あ、今日は2回洗ってない…おれってダメだな」

「眠さにまけて髪洗わずに寝ちゃった…もう、おれってダメかもしれない」

「あ、シャンプー切れてる…今日はヨメので洗って…これでもうダメかもしれない」

といった心理状態に陥りストレスによって脱毛しかねない。

ああ、育毛シャンプー。なにがいいんだろう。

荒川にアザラシが現れ、「アラちゃん」と名付けられて騒ぎになっている。連日数百人の見物客が来ているらしい。アラちゃん大人気である。

本来、迷子は皆で見物してきゃあきゃあ騒いでないで、すぐに保護者を探すわけだが、アザラシとなると事情が違うらしい。

02年、多摩川に現れたアザラシは「タマちゃん」と呼ばれこちらも大人気だった。多摩川に現れた後、神奈川県内の帷子川でも目撃されたが、もしもこちらで先に見つかっていたら「ビラちゃん」という不気味な名前になっていた可能性もある。タマちゃん、とんでもないところに流れ着いて基本的にひどく不幸な身の上なのに、つまらないところで強運である。しかも、たしか流行語大賞なんかにもなりかけた。ますますもって運の使い方が間違っている。しかし、タマちゃんは姿を見せなくなって久しい。排水のケミカルでグエムルみたいになっていたらどうしようと時々ぼくは戦慄する。

で、アラちゃん。新聞の写真では目から上を水面からのぞかせていている。真っ黒な目。白目がないから穴みたいにしか見えない。その姿は可愛いほ乳類というよりは「沈みかけた埴輪」である。荒川に埴輪が流されていても充分違和感はあるが、それがアザラシならなおさらだ。正直なところ、かわいいとかなんとか思うより以前に、不気味である。実際にこの目で見たら可愛く思えるのかもしれないが、要するにアレは場違いなところにいる気の毒な動物である。15年程前、友達の結婚パーティーの

「平服でおこしください」

という案内状の言葉を一言一句疑わず、アロハで現れたファンキーな客がいた。あのときの彼の所在なさそうな、中を彷徨う瞳はアラちゃんやらタマちゃんのそれにちょっと似ていた。そして、彼がぼくに言った言葉

「早目に帰りたいな」

テヘヘと照れ笑いした彼の魂の叫びは、たぶんアラちゃんの本音と一緒だろう。

連日ビローな話しですみません…

うっかり花の香りつきのトイレットペーパーを買ってしまった。

小さな拙宅の厠はフローラルな香りで一杯だ。リラックスして夢心地で用を果たす…とはいかない。

花、というよりは人工的なにおいが気になっておちつかない。

トイレには弱いほうではないと自覚している。

中一でインドネシアにいった時、促されたトイレは電気一つない真っ暗な小屋。そこに穴と水道の蛇口と手桶だけを見つけたぼくは、持てるすべての勇気をふりしぼってミッションを完遂した。12歳の一般的中学生にはきわめて挑戦的な場面であったが、この時以来、おもに東南アジアにおいて、ビニール袋で逃げ切ったり(詳細ははぶく)、靴下に助けられたりしながら、さまざまなシチュエーションを乗り越えて来た。

だが、この花の香りはいただけない。

そもそも、この香りが演出するバーチャルな「お花畑環境」の中で用を果たしたい人がどれだけいるのだろうか?花畑は当然アウトドアである。要するに、花の香りの中でことにいたるということは、いわゆる

「野◯◯」

を意味する。あえて、家にいながらにして、そのような過酷な状況をのぞむ人達を何層と言うのかぼくは知らないが、実際そこまで日本のマーケットは特殊化していないと思うものの、スタグネーションの世の中ではぼくの市場分析などあてにはならない…といっても、やっぱり一部愛好家を除いて野外でのソレをもとめる声はそれほど多くはないはずだ。実践している人、ほとんど見かけないし。

いや、まて。もしかすると、潜在的にお花畑で果たしたいニーズがあるが、やはり「外」でははばかられる。ゆえに、あえてバーチャルアウトドアを演出しているのか。とすると、

「草いきれ」=花の香りのハードコア版

「書店のにおい」=促進剤的効果

「礒のかおり」=臨海学校を思い出すノスタルジックバージョン

などなどが発売されてもいい…わけもなく、今日も嘘くさい花の香りにつつまれるのであった。


信号待ちで脇を見たら、家をたてていて若者が作業している。いなせ、というより、若干都会のエキスをエグザイルから抜いたような雰囲気でなかなか凄みがある。足場の上にはピンク色のニッカポッカに金髪の鳶の人。すぐ真下に真っ黒のニッカポッカに短髪口ひげの人。息のあう作業。小気味良い。

だが、一つ気になることが。

あのズボン、すなわちニッカポッカである。

最近は大リーグの選手がアンダーストッキングをかくしてベロンとズボンを足首までかくしてはくようになった影響なのか(イチローみたいな古い着こなしのほうが断然好き)、若い職人達のニッカボッカはみな地下足袋の足首をかくすタイプのものがほとんどだ。作業の上では、どう考えても足首の回りがダボダボしているのは邪魔でしかたないはずだが、業界のファッションスタンダードがそれをゆるさないらしい。皆、オランダ漫才のズボンというか、魚肉ソーセージの先っぽみたいな感じの着こなしをしている。

で、あのニッカポッカの中ってどうなっているのか?

おそらくは生足ではいているのだろう。ベルトで腰をしめ、足首できゅっとしまっているということは、あのズボンの中に大量の空気がこもることになる。密閉まではいかなくとも、足首回りも腰も作業のために結構締めているようだから、空気は逃さない。

そして一つの問題にぶちあたる。

高所での作業の場合、その場をちょいちょい移動することは困難だ。したがって、ある程度のジャンルに該当する行為は高所で済ますことになる。まあ、おおまかにいって御不浄以外は高いところで済ますことができる。

しかし自然はすごい。これからの季節、高いところは風も強く冷える。お腹が冷える。そして、腹に至極自然にたまるものがある。

ガスだ。化学的にはメタンとか、和風に言えば屁とか、である。

鳶職はやっぱり高いところでひょいひょいと動くのが真骨頂だとお見受けする。おそらくはランクが上の方が上にいき、修行の年月によって順番に持ち場は下にさがっていくのだと推測される。

たまに先輩の真下に後輩とおぼしき人がいる光景にでくわす。それが今ぼくの真横にひろがる光景だ。

ここで問題だ。

体内にたまった件の気体を放出する際、おそらくは持ち場をいちいち離れることはないだろう。したがって、足場の上でちょいっとかプスリとリリースすることになる。

問題はニッカポッカだ。昔のニッカポッカなら膝下できゅっとしばられていたから、中にあるガスが飛び出すにしても膝をまげたりしたときに、スウッと大気中に放出されていたと思われる。高所の風がたちまちガスを大気と渾然一体化させるから安心だった。霞ヶ関ビルの現場ではおそらくそのようにガスは始末されていたはずだ。

だが、今のニッカポッカは違う。足首ぎりぎりまでたれさがっている。で、

「先輩、まじスパナっす」

なんて言いながら後輩が真下に来た場合、おこりうる悲劇は想像にかたくない。足首回りの僅かなすきまから疾風となって放出されるガスをまともに鼻に喰らう後輩達。早く流行が変わってくれることを祈るばかりだ。

フェースブック、いやフェイスブック?どっちでもいいが、facebookをはじめて暫くになるが、まだまだ慣れない。イベントのお誘いなんかもうけるが、やっぱり葉書とかもらったほうが「行く!行く!」となる。

まずもって、何をどう操作するとどういう効果が生じるのか把握していないのが大問題なのだが、現状当惑しているのが

「いいね」

というボタンだ。親指一本立てたアイコン、すなわちサムズアップもといグ〜ということらしい。

だが、

「加藤ジャンプさんがプロフィール『既婚』に変更しました」

と状況が方々にアナウンスされた場合、これにに対しだしぬけに

「いいね」

というのも日本的コミュニケーションとしてはよく意味がわからない気がする。

「既婚、いいね〜」

少なくともこの40年間そういう物言いの人を目撃したことはない。

が、英語版のほうを見たら「いいね」は

「like」

だそうだ。ははあ、なるほど汎用性の高い肯定の意味なわけだ。そこに「いいね」をもってきたのはなかなか労作と評価したいところが、ここに一つ問題が。

目上の人のコメントや写真を面白いと思っても

「いいね」

という言葉では思わず腰が引けて、いいねと思ってもボタンを押しにくい。ぼくは、フリーランスでやってこられたのは一重に腰の低さと運の良さだけだと自覚している。というわけで、年長者や先輩に

「いいね」

なんてのはちょっと言いにくい。はっきり言って、ぼくの場合、先輩を呼び捨てにするぐらいなら猫を相手に土下座するほうがずっと気が楽だ。そういう人間には、おもむろに「いいね〜」はきつい。

というわけで、できれば

「すてきですね」

「よろしゅうございます」

現状のfacebookをリスペクトする意味をふくめ、百歩譲って

「いいねでございます」

みたいなボタンにならぬものか?

各国語版があるのだから、日本語版facebookについては

「現状のFacebook」→「いいね」

「オラオラ版」→「よくね?」

「もののふ版」→「御意」

「慇懃版」→「ごもっとも」

「慇懃無礼版」→「左様でございます」

などをぜひ作っていただきたい。顔を出している以上、日本人としては、キャラ作りと位相にはかなりケアしていきたいのだ。ぜひ作ってくれ、俺は待ってるでございます。


原稿なんて本当は萬年筆で書きたいけれど、やっぱりコンピュータを使って書くのは便利なのでそっちを使う。でも使うのは絶対マックなのである。


友人から「ファッションコンピュータ(要するにほとんどその機能を活用せず置物として楽しんでいる)」と揶揄されながらアップルの黒い(この質感がまあ素敵)PowerBookを買ったのは今から16年ほど前のこと。たしかに選んだ理由は

「見た目」

の他にほとんど何の根拠もない。というか、ぼくのコンピューターの老師である天才E君(おしゃれな人)がマック愛用者兼ジョブス教徒であったので、その言葉にただただ黙して従い、秋葉原の若干いかがわしい香りのするお店の地下一階で買った。修士論文を書くために購入したが、他のワープロなんかは、「機械で書いている」感じがするのに、PowerBookだと「文字を書いている」ような気がしたから不思議だ。なつかしい。これがよくかたまる機械だったが、とにかく佇まいが端正で、いまだにジャンク屋に売ることもなくぼくの

「加藤ジャンプ・ノスタルジック資料館」つまり実家の一室にいまもうやうやしく置かれたままである。

とにかく、ぼくの中で、家庭用のコンピュータといったらアップルであってマッキントッシュなのであった。

通っていた中学ではコンピューターの授業があって、「apple供廚紡侈未掘△わいい機械だなあ、と思っていたら、次に通った学校のコンピューターのクラスではマッキントッシュがずらっと並んでいて、あまりのかっこよさに腰が抜けそうになったことをよくおぼえている。嫌いなヤツのマウスのボールを外しておいてびびらせるといった事もふくめ(いまさらごめんなさい)、コンピューターの可能性ってすごいかも、なんて少しだけ意識したのはちょうど23、4年前、17歳くらいの頃だった。ターボパスカルとかいうのを習っていたがチンプンカンプンで、ぼくはあのちっさなマッキントッシュで絵を描くのが楽しくてほとんど先生の話しを聞かないうちに授業が終ってしまった。あのときちゃんと授業を受けていたら、いまごろマンゴー社とかパイナップル社ぐらい作ってたかもなあ…確実にない。

それにしても、ジョブスという人は、とにかく人気があった。ぼくの高校は万博みたいにいろんな国の人がいたが、誰もが知っていた(ホンダも皆知っていた。誇らしかった。ちなみにトヨタが人の名前だと思っている同級生はほとんどいなかった)。同級生のものすごい秀才が、ジョブスも大学なんか出てないんだからおれも…と言い出してみんなが困ったこともあるような人だった。

製品が面白いこともそうだが、紆余曲折へてアップルがやっぱりドカーンと存在しえたのは、製品と一緒にジョブスの顔があったからだろう。最近はスーパーでも「静岡の山田さんのジャガイモ」なんて顔写真入りの野菜を売ったりしているが、要するに電気製品という無機質なもの(じゃないものを目指しているのだろうが、とりあえずそう仮定して)でありながら人の存在が感じられるからこそマックやアップルの製品が魅力的なのだ。生身の人間には思想があって願いや思いがあるわけで、背後にあるそういうものに惹かれてアップル信奉者になった人は少なくないだろう。それが鬱陶しいと言われればそれまでだし、下手な手作りを押し付けられるほど迷惑なものはないが、そこになんだか素敵な人が見え隠れすれば、やっぱり製品にもグイッと惹かれるのである。とにかく、コンピューターなんかいらねえよ、と思っていたぼくに大枚はたかせたうえに、何度壊れてもやっぱりマックを買わせている事実は、そんなメカニズムで発生したのだろうと思う。

というわけで、今日もぼくはマックで原稿を書く。なかなか便利で気が利いた萬年筆みたいなものだから。

合掌。

ポテトサラダは伴奏なのである……。


直接的な動機はぼくにもわからないが、思い立って減量をはじめ、途中、プチ挫折(深夜のカラムーチョとか柿ピーとかね)などもあったが、とりあえず目方の推移は悪くない。微減と安定期をくりかえしており、油断しなければ、昔のスーツとか着られるかしら、などとほくそえむ。ただ、確実に立ちくらみの回数も増えていて、やっぱり絶食系減量は過酷であることをあらためてみとめたりして。

そもそも、太りそうなものがスキだからいけないが、それを諦めたら人生砂漠よ、と思うわけで、食いたいものは食うが他のものは断ち切りたい。

といっても、もともとそれほど好きでもない洋菓子なんかはあっさり一切口にしない生活にしたところでほとんど苦労はない。

問題はカレーとかトンカツとか焼肉とか寿司だとか要するに積極的な意味でカロリーメイトな奴ら。彼らは常に食べたいものビルボードトップ40あるいはホット100の上位を独占している。ぼくは豆腐ハンバーグに玄米とよく知らないマメとか入ってるスープだけの食事とかに変えられる強靭な精神の持ち主ではないから、うまく奴らカロリーズつきあっていかないといけない。

それで、順位に従ってその日食べたいものを食べて、あとは極力余計なものは食わずに栄養のバランスを考えて野菜やらタンパク質やらを摂取するわけだが、「スキスキビルボード」はかなり乱高下する。朝は第一位だったカレーが夕方第五位まで順位を下げ、いきなり焼肉が五位から三位にアップし、七位まで下げていたトンカツが夕方にはダントツの一位に返り咲いたり。だから、油断して

「お昼に重いの食べちゃおう…よし今日の一位はトンカツよっ」

などとクネクネ身をよじらせながら脂っこいのれんをくぐって満足したはずなのに、夕方にビルボード上で突然の

「カキフライ初登場第一位、海老フライ第二位、トンカツ第十位(お昼に食ってるから順位が下がる)…カレーまさかの八位転落」

なんて事態になり、往年の寺尾聡ザベストテン三曲同時ベストテン入り!みたいなことになると、もう食わずにいられず夜にはライオンズファンのくせに「カープ大好き」なんて口走りながら平気な顔してカキフライをむさぼってる。

だが、そんなランクの乱高下にかかわらず、ほとんど食事に密かに顔を出しているヤツがいる。

白い憎いやつ…

ポテトサラダだ。

あいつは、大概の場所でメニューにのっているか、さもなくば皿のはじにちょこんと座っている。カレー屋のサラダに混在しているケースもレアではない。要するに、ぼくの「食べたいものビルボードホット100」の一位も二位も関係ないのではないか?、すなわちポテトサラダの存在感ときたら

「演奏は…ダン池田とニューブリード」あるいは「演奏は…宮間利之&ニューハード(ニューハードってすごい名前よね)」状態なのである。要するに誰が唄おうと後ろにひかえているのは同じ人達。思えば、歌が今ひとつな人の歌だって、彼らのようなプロ中のプロがバックにおられたからこそ名曲足り得た。と考えるとポテサラとはおそろしいほどに恐い存在なのである。

そういえば、彼らのようなオケも白いジャケットをよく着ている。やっぱり白いやつはこわい。ガンダムも木馬も白いし。とまれ、こうなると、「トンカツとかなんとか言ってるけど、傍にいるポテサラを目当てにしてるだけなんじゃないの?」とか「ぼくの食べたいものはほんとうはポテサラなのではないか?」という根本的な疑問にぶちあたるのである。

だが、毎日食べないと禁断症状が出るわけでもなく、そのあたりがポテトサラダのいわば合法ドラッグのようなほどよい中毒性、すなわち素晴らしい伴奏のそれに似ているのである。

というわけで、いつかぼくがオケを結成する事態になれば、「加藤ジャンプとニューポテトサラダ」であることは間違いないのであった…まあ、要するに大好きなのよ。

スターになりたい人はいっぱいいる。

将来の夢は、と新人歌手なんかよく尋ねられるが、

「親に家を買ってあげたいです!」(演歌の人に多い)

「武道館を一杯にしたいです!」(ロックの人)

「フェラーリに乗りたいです!」(赤いものが好きな人)

などなど類的的な答えはいろいろあるが、いまだに

「いつかロウ人形になりたいです!」

という答えにはであったことがない。

だが、あれは確実にスターの証しではある。

証しにはいろいろあって、ジョン・レノンがロールス・ロイスに乗ったり、フィル・コリンズみたいに農園を買ったり、クラプトンみたいに潰れかけた洋服屋さんにポイッとお金を出して店ごと買っちゃってオーナーになったり、スターの印籠はさまざま。

一方、負の証しもある。たとえば、パパラッチ。プライバシーがなくて気の毒だ。だが、

「パパラッチを追いかけ回すパパラッチを雇う」

ことでスターはパパラッチから開放されそうなのに、そういうことをするスターはいない。スターはなかなか難しい。

で、蝋人形である。正か負かは知らないが蝋人形はステータスの証しではある。


マダム・タッソーの蝋人形館は19世紀にロンドンで開館した。幼いタッソーさん(旧姓グロショルツさん)は、フランス人の母親がメイドとしてつとめていたスイス人の医者から蝋人形の作り方を教わった。最初に作ったのは、甘いマスクに似合わぬロックな発言が目立つボルテールの蝋人形(渋い人選)だったらしいが、それから紆余曲折(といってもずっと順風満帆)へてロンドンにあの館を開いた。

大学生の頃、魚の目を削り取りにいった病院の待合室で、白いジャージおじさんから

「盆栽を教えてやる」

としつこく言われたが、あのとき断らずにいたら、ぼくも今頃は「加藤ジャンプの盆栽館」のオーナーになっていたかもしれない。惜しかった。

で、その蝋人形館がお台場に期間限定でできた。ニコール・キッドマン様とかジョニー・デップとかレディー・ガガとか、マイケル・ジャクソン、ヘップバーンなんかがいる。スターの殿堂である。

今回、日本からは、人選の過程は明かされぬまま坂本龍一さんと葉加瀬太郎さんと鉄腕アトムさんが選ばれた(これから順次二名ふえるらしい)。アトムさんは兎も角、人間の二人は音楽家でいつも白黒の服装の男性だ(アトムさんも黒と肌色。白黒みたいなもんだ)。そして、葉加瀬太郎さんは開館に先立ち本物と一緒にプレス公開に登場し、嬉しそうに笑顔をふりまいていた。いい人に違いない。
それにしても蝋人形。ものすごくリアル。
……けれど、なんか違うのである。
人形だからと言ってしまえばそれまでだ。だが、そっくりには違いない。黒雲みたいな葉加瀬太郎さんの髪の毛一本までソックリ、リアルではあるのだ。しかし葉加瀬太郎さんの「音楽界の京塚正子」的なものが全然伝わってこない。 なんじゃこの違和感は?


…そもそもリアルってなんだ?


昔、肖像画を描くのは命がけだったはずだ。特に戦国武将はこわい。功なり名遂げた上に、元来血気さかんなモノノフ注文主である。精緻に描き過ぎて

「おい絵師、余はそんな顔じゃなかとよ。手討ちじゃ」

なんて平気で抜かしてもおかしくはない。手討ちまでいかなくても、百叩きくらいは当たり前だったに違いない。
でも、ほんとのところ、「リアルにちょい足し」という匙加減が、描かれた人も見る人も幸せなんじゃなかろうか。 ただ似てりゃいいってもんでもない。要するに、作る人の気持ちってのがないとダメなんじゃないの?と思ったりして。


そして、タッソーの蝋人形@お台場である。

リアルさは肖像画どころではない。なにしろ立体だし。リアルにもほどがある。

で、今ぼくはこのブログをヨレヨレのTシャツをスウェット短パンにインした姿で書いている(この前テレビに出ていた蛭子能収さんのカジュアルスタイルに非常に近い)。これを蝋人形にする場合…。ますます「リアル」の価値に迷うのであった。

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