加藤ジャンプの徒然ジャンプ

文筆家・加藤ジャンプの日記 〜コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、09年からお客さん参加型『即興小説』やっています。 kato_jump115*ybb.ne.jp(*を@に変えて送信ください) ノンフィクションライター白石新のお問い合わせもこちらへどうぞ。

ごくごく最近の加藤ジャンプ:
*週刊朝日書評ページ『最後の読書』書きました
*dancyu東京特集で『立ち飲み番付』書きました
*dancyu 酒場特集で『きたやま』さんのことを書きました。
*テレビ東京系『二軒目どうする?』に出演しました〜
*HAILMARY magazineで毎月『終着駅でギムレットを』連載中
*ウェブ漫画「今夜は『コの字』で」を集英社インターナショナルHPで連載中(原作担当)http://www.shueisha-int.co.jp/
*dancyu中華特集で『味坊』さんのことを書きました。
*新潮社「考える人」で折り紙サークルについて書きました。数学の話デス。
*ALBAのノンフィクション、町工場で復活した伝説のクラブ屋について書いてます
*ALBAのノンフィクション、障害者ゴルフについて書いてます
*すみだ水族館「夜のスズムシ〜すみだ虫聴き〜」クリエイティブやりました。
*文化放送”くにまるジャパン”でコの字酒場のことをおしゃべりしました!
*すみだ水族館イベント「ウミガメQ」企画クリエイティブやってます。
*J-WAVE "GOLD RUSH"でコの字酒場のことをお話させていただきました!
*Free & Easy 7月号でもてなし料理を作ってます。パエリアとパスタ。そのレシピと使った調理器具が渋谷の東急ハンズでコーナー展開中です。
*dancyu7月号「記憶に残る名居酒屋」でコの字酒場の三四郎を紹介させていただきました。
*週刊現代5/11・18ゴールデンウィーク合併号『竹中直人さんインタビュー』素敵。この一言につきます。
*アルバ4月11日号『地図に載っていないゴルフ場 〜五島列島・小値賀島、浜崎鼻ゴルフ場の人々〜』
 五島列島にある島に島民自らが作ったゴルフ場があります。それはただのゴルフ場ではありません。自立のシンボルなんです。
*すみだ水族館 「すみだ水族館があなたの夢をかなえます〜ペンギン研究員〜』クリエイティブをやらせていただいてます。
*dancyu『日本一のレシピ』〜最強のポテトサラダを作る〜再掲載 見逃した方、ぜひ。むせかえるポテトサラダ実験の涙のレポートです
*Free & Easy 6月号 男のもてなし三ツ星料理 もてなし料理3品、作ってスタイリングして書きました。

2010年12月

今日はビロウな話しです。

 

先日、友人で編集者のS君と打ち合わせというか要するに雑談と酒という状況だったのだが、突然こんなことを言い出した。

「うがい手洗いって、あれ効くよ!」

新しい健康法を見つけた「eureka!」という口調だったが、うがいと手洗いは子ども頃から家に帰ったら必ずしてきたので、なんだって「やっぱゴム巻ダイエットだよね」ぐらいの新機軸を紹介するような雰囲気で発言したのか問いただすと、

「オレ、全然したことなかったもん」

と回答された。

「覿面でさ、今年は風邪ひかないもん」

と実証する。

彼は以前つとめていた会社で同期なのだが、オレの同期は、皆、「無類の学校好き」でちょっと学校に長居してしまったタイプなどが多く、彼もまたオレよりも一つ年下なので、要するに、齢38にしてようやく「うがい&手洗い」の実践ならびに習慣化を果たしたのである。

しかし、世の中ではかなり浸透している、畢竟「常識」とされているものながら、実は意外に実態を把握しきれていないことがあるのではないか?

俺はあった。

和式のトイレの使い方が18歳までわからなかった。家のトイレが洋式だった。しかも小学校ぐらいまでは、学校で「大」をすると沽券にかかわるという男子生徒社会の不文律があったのでトライすらせず。たまにどうしようもなくなったときは、どのクラスからも遠いトイレにのたのたと入り、用を足していたのだが、その際、使い方がわからない。

で、オレは、いつものとおりの形で事を済ませていたのである。つまり

「空気椅子」

の格好であった。トレーニングの一種としても実践されている空気椅子は下半身への負担が大きい。体を支えるだけで精一杯なのに、そのうえ、下腹部にさらに力をいれなくてはいけない。こうなると、もはや完全な修行である。しかもオレは奇麗好きだし基本的には常識人なのでトイレは汚してはいけないとしつけられてきた。だから、なるべく勢いを殺して、なおかつよろけることなく、中途半端な高さから事を済ますという、ほとんどシルクドソレイユみたいな状況をあの個室の中で繰り広げていたのである。やっぱり日本人は凄い、と俺は何の疑いもなくその方法を高校三年生まで実行していたが、ある日「きんかくし」という和式便器の部位の名前の由来をぼんやり考察していたとき、

「あ!」

と気づいたのであった。空気椅子では「きんかくし」は機能しない。しゃがむ。eureka.

以来、俺は和式便所が大好きだ。

 

驚いたことにもはやクリスマスイブである。

あっという間、ではない。なんだか去年のクリスマスなんて3年ぐらい前に感じるくらい、最近子どもの頃のように時の流れゆっくりしている。なぜかはわからぬ。進まぬ原稿のせいで、体内時計がメロメロなのかもしれぬ。

とまれ、昨晩、PLSMISで行われたslowform主催の『うたって、かなでて、かいて』というイベントでまたしても即興小説をやったのだが、そこでもクリスマスの話しにまとめたのだが、来てくれた人達の雰囲気がやさしく、ああクリスマスってええなあ、と何故か関西弁になりそうなほど感無量であった。

そういうわけで、クリスマスというのは、一時のレストランの予約がどうのとか、ティファニー買ってどうのとかいう時代が去り、なんというか、日本でも家族の日とか、要はあったかい感じの日になりつつあるんではないか、と思ったのである。

それで、昨晩、これまた縁あって、昨晩共演させてもらったバンド「つきのうみ」のメンバーであるT川Kるクンのつとめる白楽のeimekuという店に行ってクリスマスのギフトを買いにいったところ、これがまたいい光景にめぐりあった。つまり、一人でやってくる男の人達、それも充分に大人の男の人達が結構な数。黙って、それでも目は真剣に選んでいる。ナチュラルでなんというか俺はその様子が楽しくて、白目のはじっこのほうを使ってそうっと観察していたが、

「あ、そのブローチ奥さん喜ぶで!」

「そっちより、そっちのストールの方がええやんか、あああ…」

「あかんがな、それ、俺が欲しい…」

とか、ちょっと、そういう女の人向けの贈り物が若干苦手そうな男性達の物色ぶりを心密かに、やっぱり関西弁(用法の正誤はわからぬ、なんちゃってでもええやんけ、関西弁好きなんやから)応援したりしていたのであった。

そんな彼らが一人ずつ、一目でプレゼントとわかる、素晴らしく奇麗な包みを大事そうにかかえて帰って行くのを

「ほな、よいお年を」

とこれまた心密かに関西弁で送り出したところ、

「お待たせしました!」

と俺が待っていたプレゼントも包装が仕上がり、俺は意気揚々と店を後にした。おそらく今年は最後の来店かと思ったので、やはり

「よいお年を」

と言ったが、もちろん関西弁ではなかった。
ほな、みなさん、Happy Christmas!

風呂にはいるのが面倒くさい。寒いとますます。年々、嫌浴症(そんなビョーキはありません)はひどくなっていて、風呂をわかして風呂場の前まで行きながら踵をかえしてご鏡の前で鼻毛かなんかチェックして、結局また居間に戻って深夜のサッカーを見てそのまま気絶するように寝てしまったり。ホットカーペットが熱くてちょうど横たわった時最も広い面積が接する右の尻っぺたが異常な高温になって、すわ低温火傷か、と慌ててめざめる。

思い切りが悪い。さっさと入浴すればいいのに、えいやと気合いが必要になる。

風呂好きの人は多い。文化っぽいというか、カルチャーな人達は温泉好きとか公衆浴場が好きが多い気がするが、うらやましい。仕事できゃあと欣喜雀躍してしまうような温泉旅館に泊まった時は、それはもう体中がしわだらけになるくらい入る。そういうところの風呂場は絶景付きだったり、時には酒なんか持ち込んで、「ここで裸で暮らしたい」と思えるような風呂なのだから、好きにきまっている。

だめなのは日常の風呂だ。家とか誰かの家とか銭湯とか、そういう普段のお風呂が面倒すぎる。

銭湯なんて一生のうちまだ2回しか入ったことがないし、温泉なんかでもなるべく誰もいない時間をねらって入る。広々した浴槽は好きだし、水泳はもとより得意なので、行儀は悪いが泳いでみたり。そういう楽しみをふくめれば温泉好きとも言えなくもないが、まあ、慰安旅行で温泉と宴会のどちらに比重をおくかといえば、九分九厘宴会である。

とはいえ、風呂を欠かすかというとそんなことはなく、結局、1日1度は風呂に入らないと気持ち悪いことはたしか。どちらかというと潔癖性なくらいなのに、風呂に入るまでが嫌で嫌でしかたないのである。

結局、明け方もそもそ起きて風呂に入って浴槽で眠ってズブズブ沈みかけたり四苦八苦しながら髪の毛を乾かして寝床にはいったりする。しかも風呂場で沈没寸前の時に見た夢に限って、すごい女優さんと旅とかいろいろエンジョイしている夢だったりして、ああ惜しいというところで溺れかけて目覚める。いろんな戒めを感じて、さっぱりするはずが軽い自己嫌悪をおこさせるのだから、たちがわるい。

猫なんてしょっちゅう自分の体をなめまわしてあれでお風呂をすましているらしいが、人間はああいうわけにもいかない。高校時代に別の目的でそういうことをためして見たという同級生がいて、翌日首がまわらなくなっていたのが懐かしいなんて、考えながら、これから風呂をわかすわけだ。

突然の連絡でとびだす主人公は大概とんでもない陰謀なんかに巻き込まれるのがサスペンスの常だが、その旅は越路よう子姉さんの思いつきで始まったため、綿密に仕組まれた陰謀などさらさらなく、のっけからラブリーな仕上がりなのであった。

2010年10月19日の朝、俺はいつものように明け方仕事をすませて、再びに眠りについたところ、メールの着信で叩き起こされた。画面を見れば、「越路F雪路」ことあの方から。

すわ一大事と文面を見れば、何故か改行を駆使したメールとは思えない凝ったレイアウトになっており、一見してただならぬ事態を感じ取ったオレは、すぐに傍らの眼鏡をかけると、

「今日、京都行きませんか?」

の文字。キョウ、キョウトなんて素敵だわ、などと感心してる間もなく、オレの心は快諾。すぐに正規の段取りとしてドーベルマンワイフに「行ってもよろしいでしょうか」と伺いをたてると、「行けば」という放任の言葉に欣喜雀躍したのであった。さっそく雪路姉に「行きます」と一言男らしいメールを送り、週刊誌記者時代の突然の出張よろしくパンツなんかを奇麗にたたんで鞄につめこみ勇んで新横浜へと向かった。

車内では、名古屋からマツコデラックス級の超弩級乗客と隣り合わせるという実質的なホラーに遭遇し、オレの体は彼の座っている右半身だけ異常な高温に曝され右半身ナイアガラ状態で京都に到着したのであった。さっそく、雪路姉に連絡し、姉妹の待つ四条のホテルへと急行すべくタクシーに乗ると、これが異常にイケズな運転手さんで度Mなオレですらどん引きするほどの無愛想加減、いきなりのアウエーの洗礼となった。

ホテルのロビーで雪路姉さんに電話をかけると、まだ変身前の姿を現され、オレ達は固く握手。この夜待ち受ける栄光のミッションの成功を祈った次第。わざわざエレベーターに乗って2階へあがるというアンチエコな行動をとった後、よう子姉さんのお部屋を訪問。いつもの温かい笑顔とシェークハンドに、オレは感動し、早速3人で缶入りスーパードライでウェットな夜を誓いあう。

 

…まずは、このミッションのそもそものお話を聞いたが、雪路姉さんによう子姉さんから電話があったのが、前の晩の10時過ぎ。「あのさあ、明日京都行かない?」という突拍子もなくファンキーなお誘いに対し、雪路姉さんはいきなり二つ返事で快諾。やはり一度ミイラになった人は根性の座り方が違うのである。

翌日、意気揚々と姉妹は新横浜駅で指定禁煙の切符を隣り合わせで購入したのだが、なんとおしゃべりに夢中になり、列車をやり過ごすという壮大な珍事件を自ら招いたという。駅員に問うたところ、「自由席に乗ってください」とにべもない一言だったという。駅員さん、せめて、この姉妹のために涙を流してくれ。

さて、そんなこんなで、自由席喫煙という薫製工場のような環境に乗り込んだ越路姉妹は、結局、人工冬眠並の深い眠りの中、京都に到着したのであった…。

 

というわけで、そんなアヴァンギャルドな旅に混入したオレは、日が暮れたら始めるというストリートライブのためのお二人のリハーサルを15平米ベッドで一杯な部屋の中で聴くという贅沢ながら鮨詰め状態を体験。それにしても、姉妹の息のあいっぷりとますます脂ののる格好よさに、オレはスーパードライをたちまち飲み干し、ああ素敵と期待に胸をねちねち踊らせるのであった。

 

その後、お二人は世を忍ぶ仮の姿から本来の姿へと立ち戻る、いわゆるバケラッタタイムに突入。ほどなくして、待ち合わせ時間によう子姉の部屋に行くと、画竜点睛を欠く、否、オカマつけまつ毛を欠く姿で迎え入れてもらう。目の前でさなぎが蛾いや蝶へと変態する姿は観光バスの中でお土産の万華鏡を覗いていて具合が悪くなりかけた時くらいのゆらめき感 f分の1で、これはビデオを持ってくるべきだったと若干後悔。固唾を飲んで、ついでにビールを飲んで凝視しているオレは一体なんなんだ?と根本的な疑問もぶっとばし、またしてもおしゃべりに花を咲かし、オレは完全に二丁目の物好き状態なのであった。

 

そうこうしているうちにトントンとドアをノックする音が聞こえ、雪路姉さんが登場。完全に砂好きの女王になっている。今、彼女の傍にいれば、ジャイアントロボもスフィンクスだと言い張っていいのではあるまいか。

 

陽もとっぷりと暮れ、京の都に平和な夜が訪れようとする頃、ついに、越路長女と次女の二人は満を持して町に出る事とあいなった。ドアを開けて廊下に出ると不幸なことにお隣の部屋の男性と遭遇。タチの悪い出会い頭事故にあったようなもので、男性はそそくさとエレベータへと駆け込んだが、その姿は「非常口」の電灯の緑色の人そのものであった。

もちろん我々3人も走れば彼の飛び乗ったエレベーターに追いついて同乗することも叶ったが、なにもそこまでして今会ったばかりの人にトラウマを植え付けることもない、との決断で乗らぬことにする。一期一会の使い方はいろいろなのである。

 

まずは第一の関門、ホテルのロビー。折よくチェックインする方々おられホテルマンの皆さんはそれに夢中だったのか見ないようにしてたのか、あるいは物の怪に対してかなりの耐性を持つ特異体質だったのかは判然としないが、よう子姉、雪路姉、ともに

「お待ちやす、オカマはん!」

と呼び止められることもなく、路上に立つこととあいなった。

 

さて、夜の闇の中をまるで網タイツを破るようにホテルから飛び出して来た二人のオカマ達の姿は、まさにU2がAchtung Babyというアルバムを出した頃、女装していた時代を彷彿させたが、彼らはあくまで女装であって、こちらは衣装とカツラに見えて実は皮膚と頭皮というすさまじく正真正銘の女達である。つまり越路姉妹vsU2は越路圧勝完勝なのであった。

 

京都の町はご存知の通り碁盤の目状にストリートが伸びている。天神山町の宿を出ると、まずは直角に路地を折れると、完全にこちらに気をとられ脇見運転をしていく車が横を通り過ぎていった。

烏丸通ではちょうど信号が変わりかけで走ってわたる。

疾走するオカマ二人を見たドライバーの皆さんが過ちをおかさぬよう、オレは祈った。

蛸薬師通近くでは自転車に乗った方々が通り過ぎる際、ギリギリまで姉さん達二人を凝視しているのだが、いざ至近距離となるとオレに目をそらすケースが度々おこる。その時の目が訴えるのは「誰」とか「オカマ?」とか具体的な質問ではなく、

「どうして?どうしてなの?」

という不条理に遭遇した人間が口にするであろう、多分に哲学的ニュアンスをふくませたものだった。

 

そんな中、眼の覚めるような青のスパンコールのドレスになぜかコンバースというよう子姉さんとゴールドのストッキングが神々しい雪路姉さん達は、町の刺すような視線をものともせず、ずいずいと道を行く。京都が長年必死になって守って来た景観はかくも容易に破壊されるとは、ああ条例はかくも無力なり…歩くラスベガス状態の二人に、ほとんど全ての通行人達の目が釘付けになる中、オレはまあ、何かあった時は

「ほんとのオカマはぼくなんです」

という意味不明のイタチの最後っ屁のような言い訳をすれば大丈夫だろうと妙な安心感に包まれていたのであった。

 

練り歩く、超有機ELのような越路長女次女コンビは、徐々にアイドリングをすませ、ボルテージも高まるなか、まずは裏寺町あたりから積極的に

「こんばんは」

なんて挨拶を飛ばし始める。塾帰りの中学生が完全に口を開けて見ていたが、オレは彼の女性観が根底から覆ったか、或はカミングアウトする時が早まってしまったのではないかと若干懸念しつつも、にやにやとキャラバンについてまわる。

ストリートライブをすべき場所を探しているのだが、これがなかなか難しい。

さすがに国際観光超文化都市だけあってかなりの人出なのだが、流れも早く、商店街の中にも普通に寺社仏閣があるので、うっかりしたところで演奏もできない。流れ流れ辿りついたのが、四条大橋。

あの出雲の阿国が踊りまくって安土桃山ボーイズ&メンを熱狂させた場所であり、彼女が歌舞伎のルーツともいわれていることを考えれば、この場所ほど越路姉妹に相応しいところもない。勢いさえあれば、このまま現代のリアル歌舞伎をやっている南座につっこんでいってもいいぐらいだ。

 

…こうして、伝説の越路TVin京都の幕があがった。歩き回って四条大橋に辿り着いた我々の息もあがっていた。

(つづく)

美の基準は実に興味深い。

今日ネタ探しにダラダラネットサーフィンしていたら、面白い話を目にした。

unibrow

と書いてあって、そんな言葉あることも知らなかったので、字面からして、「uni=一つ、brow=眉」、はて、これは天才バカボンのおまわりさんみたいな感じ(彼は目までつながっているが)のことかと思ったら、オレって意外に慧眼と誰も褒めてくれないので自画自賛したわけだが、やはり、一本眉のことであった。

で、これがタジキスタンの女性の間では超マストなモテ顔の要件らしい。一本眉なんていうと鬼平犯科帳とか「こち亀」の両さんを思い出すが、そっちじゃない。というか、あれは男の話しであって、タジキスタンでは、女性で眉がつながっていない人はハーブで出来た「つなぎ専用の眉ズミ」を買ってごりごりとつなげて、みな競って一本眉にしてるという。

トロツキーの本を読んで、なんかかっこいいなあ、なんて感心していたスーパー偏り頭デッカチ高校生だったオレは、その時、おそらく世界で一番有名な一本眉女性、メキシコ人画家のフリーダ・カーロの存在を知り、一本眉に驚愕したが、タジキスタンにはフリーダが一杯なのだ。だが、フリーダのあれは社会に反抗する一本眉。ところが、むしろ、タジキスタンでは女子の象徴というわけで、もしもフリーダがタジキスタン生まれだったら何をつなげたのだろうか、などとどうでもいいことまで考えてしまうわけだ。それにしても、タジキスタンという国は、アジア系やらスラブ系やらいろんな民族がまざっているらしく、要するにとっても美人が多いのに、みんな目の上に地平線みたいな一本眉…

「もったいない!」

と思ってしまうのは、価値観のおしつけ意外のなにものでもないのは重々承知なのだが、いやはや、もったいない。

とはいえ、その話しを目にしてから散歩に出て、すれちがった高校生のつけまつ毛はもはや眉毛と同化するほど長くそそり立っていて、もはや、まつ毛なのか眉毛なのかよくわからない状態で、これよりはタジキスタンの一本眉のほうが、まあ、なんという天然生やしっ放しという状態だと思えばずっと自然な気がしたが、それでもやっぱり眉毛は離れているほうがいいかも、なんて思った次第。そういうオレの眉毛は公家みたいに離れている。

 

 

写真来年の手帳が郵便で届いた。エアメイルで届いた。なんかユーミンみたいである。

オレはスマイソンという手帳屋の手帳を使っていて、万年筆で書き込んでもにじまない青い紙がカッコよくてお洒落さんな感じなので手放せない。面白いことに、プレーンな日付だけのもの以外に、スポーツイベントの情報が満載のやつとか、レストランで何を食ったか書き込むことができる海原雄山が愛用しそうなものなどバラエティ豊かで、こんなのを100年も作っているイギリス人というのは、まあなかなか酔狂なのである。で、オレが買ったのは「豆知識付き」のやつで、毎日、ちょこっとした事件やら誕生日なんかがしたためてたる。イギリスの町工場のワンマン社長は朝会できっとこの手帳からネタを探して一席ぶつのだろう。彼の国で朝会があるのかは知らぬが。

ちなみに、この手帳は11月末からページがあるので、もはや使い始めているのだが、

12月1日はイギリス初の女性議員が登院した日なんだそうだ。ちなみにそのナンシー・アスターさんという人はアメリカ人なのである。全然関係ないがツルネンさんを思い出した。

で、翌2日はアラブ首長国連邦の独立した日で、3日はあのオジー・オズボーンの誕生日なのであった。

凄まじい脈絡のなさである。

で思い出したのは、これは要するに『思いっきりテレビ(今は思いっきりdonか)』の「今日はなんの日フッフ〜ゥ」というコーナーと一緒なわけだ。オレはあの番組全体には馬場さん以外まったく興味がないものの、あのコーナーにはみのさん時代から惹かれているので、今回この手帳を選んだもの間違いなかったと納得。

そうえいば先日

「野口英世の母が死んだ日」というのを放送した翌日「梅沢富美男が生まれた日」という驚愕の連鎖に、オレの昼飯を運ぶ箸が少しだけ止まった。千円札のご母堂の命日の翌日は夢芝居なのである。

かように雑学は脈絡がない。体系化されていないのだから「学」は無いし、そんな具合にパラパラの知識だから、知ったそばから忘れてしまう。

ちなみに、オレの誕生日は何があったのかな、と今回の手帳を繰ってみたら、

5月21日「レオ・セイヤーの誕生日」だった。レオ・セイヤーか。共通点はチリチリの髪だけだ。

そして、オレは前から知っている。その日は、米良美一さんの誕生日でもある。ちなみに生まれた年までオレは全く一緒のモノノケ同窓会である。こういう雑学は忘れない。というか、忘れさせてくれない。

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