加藤ジャンプの徒然ジャンプ

文筆家・加藤ジャンプの日記 〜コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、09年からお客さん参加型『即興小説』やっています。 kato_jump115*ybb.ne.jp(*を@に変えて送信ください) ノンフィクションライター白石新のお問い合わせもこちらへどうぞ。

ごくごく最近の加藤ジャンプ:
*週刊朝日書評ページ『最後の読書』書きました
*dancyu東京特集で『立ち飲み番付』書きました
*dancyu 酒場特集で『きたやま』さんのことを書きました。
*テレビ東京系『二軒目どうする?』に出演しました〜
*HAILMARY magazineで毎月『終着駅でギムレットを』連載中
*ウェブ漫画「今夜は『コの字』で」を集英社インターナショナルHPで連載中(原作担当)http://www.shueisha-int.co.jp/
*dancyu中華特集で『味坊』さんのことを書きました。
*新潮社「考える人」で折り紙サークルについて書きました。数学の話デス。
*ALBAのノンフィクション、町工場で復活した伝説のクラブ屋について書いてます
*ALBAのノンフィクション、障害者ゴルフについて書いてます
*すみだ水族館「夜のスズムシ〜すみだ虫聴き〜」クリエイティブやりました。
*文化放送”くにまるジャパン”でコの字酒場のことをおしゃべりしました!
*すみだ水族館イベント「ウミガメQ」企画クリエイティブやってます。
*J-WAVE "GOLD RUSH"でコの字酒場のことをお話させていただきました!
*Free & Easy 7月号でもてなし料理を作ってます。パエリアとパスタ。そのレシピと使った調理器具が渋谷の東急ハンズでコーナー展開中です。
*dancyu7月号「記憶に残る名居酒屋」でコの字酒場の三四郎を紹介させていただきました。
*週刊現代5/11・18ゴールデンウィーク合併号『竹中直人さんインタビュー』素敵。この一言につきます。
*アルバ4月11日号『地図に載っていないゴルフ場 〜五島列島・小値賀島、浜崎鼻ゴルフ場の人々〜』
 五島列島にある島に島民自らが作ったゴルフ場があります。それはただのゴルフ場ではありません。自立のシンボルなんです。
*すみだ水族館 「すみだ水族館があなたの夢をかなえます〜ペンギン研究員〜』クリエイティブをやらせていただいてます。
*dancyu『日本一のレシピ』〜最強のポテトサラダを作る〜再掲載 見逃した方、ぜひ。むせかえるポテトサラダ実験の涙のレポートです
*Free & Easy 6月号 男のもてなし三ツ星料理 もてなし料理3品、作ってスタイリングして書きました。

2009年05月

久々に、以前つとめていた編集部の人々に会った。楽しい一時。K生さん、H口君、M田さん、皆変わってない。いいわあ、懐かしい人達とのトーク。神楽坂へ出向き、何枚かピザをシェア。丸いものを分け合うとどうして、こんなに心華やぐのであろうか。

随分前のこと、クリスマスケーキを男子4人で食べることになった。ケーキ担当の男が、ブッシュドノエルという長細いケーキを買って来てしまい、何となく、他の男達3人が落胆するという事件がおこった。やっぱり「分ける」なら「丸」にきわまるのである。
その時は、丸には「端っこが無い」ので、分けるとき、限りなく公平な感覚がある。それが証拠に、ブッシュドノエルの場合は、中央の2切れをめぐって激しい攻防が繰り広げられた。丸は深淵なのである。

とまれ、
先輩のKさんは
「会うっていいね」
一堂首肯、こくり。「会う」ことが大事なのである。今やコミュニケーションの手段は、一見ごまんとあって何の妨げもない。たとえば、昨日おれの前で坐っていた大学生の目撃譚として

「今、電車。前の席の人が、中田英寿に似てるけど、大量に鼻毛が出ている」

とか、以前はその場に一緒にいるか、面と向かって雑談する機会がなければ、そういう日常の機微を話すことなんて出来なかった。ところが今やメールやらを使えば、ちょいちょい、そういう、ちまちました気にかかった出来事なんかも分かち合えたりするのである。
そうすると、「どうも会うのは億劫だけど、連絡はとりあっている」という器用なことが、些細なレベルから可能になるが、実際、これは情報が行き交ってはいるのだが、物理的に存在同士が会ってコミュニケーションするのとはまったく違うのだった。

何分、自分の姿は、鏡を見た所で結局、鏡の中の自分でしかないわけで、誰にも会わずに、それでも人たりえるのは仙人とか、特別な種類だけなのである。というわけで、やっぱり縁は大事にしたいものである。最近は、籠って書いてばっかりだったのでことさら思うわけである。

と、帰り道考えていたら、また、一人先輩のYさんに遭遇し、ちょいと挨拶。
そこで、ふと、あのピザとケーキを思い出し、

丸は円であって、円は縁か、

などと思い至る。なんだか、書家っぽい人が色紙に書くみたいでアレだが、意外に巧くまとまったなあ、と一人ごち、やっぱり人と会うのはいいと見当違いな充足感まで味わいながら歩を進めていった。暫くして
五十番という中華饅頭が名物の店の前を過ぎる時、
そういえば、

みんな少しふっくら丸くなったかな、


とさらにオチをつけてご満悦なおれであった。


 

最近、スケベな夢をよく見る。そろそろ梅雨だというのに、春に未練があるらしい。双葉山は、連勝が途切れた時、いまだ木鶏たりえずと書いたそうだが、連勝もしてないんだから、木鶏なんて無理、無理、無理。

さてさて、先週しんどかった風邪もほとんどよくなったので、遅れた分を挽回すべく明け方まで頑張っていた。
でも、寝ないとぶり返すといけないので、とりあえず風呂に入ってから寝た。

珍しくスケベではない夢を見た。
土砂降りの雨の中。おれは急いで帰らなくちゃと思っているらしく走っているが、足首までつかるほどの大雨で、思うように進めない。そこへ、親父が現れて、傘となぜかカレーライスをくれたので、それを食ってから傘をさしてズンズンと進んで行った。

と、思ったら目がさめた。
いきなり、裸のおれの体が目にとびこんできた。
というか、おれの体のきわめて重要なパーツが、つまり下半身が、物理的に目に入りそうなくらい接近していた。

つまり、おれは胡座をかいて、思い切り前のめり。なんて格好で寝ているのでありましょうか。

一人で、リコーダー部?都山流?竹保流?否、そんなに柔軟ではない。

以前、電車で熟睡して、前のめりになりすぎて、椅子から落ちたことがある。おれは坐って眠りこけると、どんどん背中が丸まって、頭が垂れて行くのだ。ちなみに、電車で椅子から落ちたときは、その拍子に肩掛け鞄のストラップが首にからまって、『クラウザーさんの公開処刑』あるいは『一人必殺仕事人の中条きよし』状態に陥り、電車のフロア上でマイルドながら、死にそうになった思い出がある。

さてさて、今日はというと驚いたことに、ずぶ濡れである。
ざあざあと水が足元にかかってくる。

正夢?だいたい何故、坐ったまま裸で寝ているのか?

だんだん正気になってきた。

ここはまだ風呂場であった。
シャワーを浴びながら寝てしまったらしい。

いやはや、正夢などと暢気なことを言っている場合ではなかった。
ところが、どういうわけか、昼間の雨中に使って、帰宅後に干しておいた傘が、すっかり乾いていたはずなのに、また濡れていた。

やはり正夢?
そのうえ、カレーが食べたくて仕方ない…というのは、いつものことであった。
もう寝よう。今日はスケベな夢はみない気がする。





 

うんと若いときは、拾得という坊さんはかっこいいなあ、と思っていた。李白もまた憧れの人であった。どちらも、今の東京にいたら、何度逮捕されているかわからないような危ない人達である。

忙しいやらなにやらで曜日も日付もすっかりわからなくなっていた。風邪が残って咳がひどい。集中力がいまひとつ高まらず、原稿が進まない。
気分転換しようと、よく行く飲み屋さんのK太郎さんに、面白いからぜひ一見と言われていたMXテレビの『5時に夢中』という番組をつけた。そうしたら、以前、勤めていた会社の先輩にあたる人がコメンテーターで出演していた。

岩井志麻子さんとペアでよく見かける。
ピンクレディーか、あみん か、ウィンクか、どれかにたとえるなら…
話はピンクどころではないし、ウィンクのようなアンドロイドどころか情念たっぷり。
まあ、あえて『あみん』か。だが決して『待たない、むしろどこまでも追っかけてくる』という感じである。司会の逸見ジュニアは、お札を3枚隠し持っているのではあるまいか。

おれがサラリーマン編集者だった頃、その人は、髪型が「おさげ」なことで有名だったが、今日はとても普通のセミロングで、昔日の面影はあるものの、時は流れるなあ、と思わず感慨にふける。そうしたらはたと思い出した。いやはや、驚いたことに自分の誕生日であった。光陰矢の如し。一寸の光陰、軽んじてばかりである。

十代の頃は、はたして自分の30代後半なんて夢にも思わなかったが、なってみると全然意識が変わっておらず、おそろしい無自覚ぶりである。変わったのは目方と鼻毛が白くなったくらい。あとは、ほんとうに変化がない。

しかし、自覚がないのは本人だけである。いましがた、サイトで「治験のおしらせ」というのを発見。3泊4日で15万円。新薬の実験台のバイトである。気になって詳細を見たら、年齢35歳以下までなんだそうで、おれはアウトなのであった。知らぬ間に、若い人のお世話になる側になってしまった。しまった。

寒山とか元祖「裸で何が悪い」の南方熊楠だとか、とっぴながら優れた人には、すげえなあと憧憬の念を持って見るけれど、まあ、そういう生き方は、ちょいと無理なことぐらいは流石にわかってきた。これも年の功。馬齢を重ねるとはよく言ったものだが、まあ、犬馬は死ぬまでちゃんと役に立つ。桜鍋なんて大好き。

とまれ、いかによき犬馬たれるか、そこらがこれから肝要だろう、なんて殊勝なことを思うのは、やっぱり年のせいじゃなく風邪のせいだと思う。

 

風邪をひいた。新型インフルエンザではない。ちょっとボーッとしているーー

ゆずグレン

という文字をネットで初めてみた時、ハーフのAV女優の名前かしら、と思った。柚子グレン、なんて、ちょっといそうである。多分、小柄でショートカットだろう。妄想、妄想。

あにはからんや、
音楽グループであった。
『ゆず』と『キマグレン』の合体ユニット。いやはや合体違い。

いずれのグループもとても精力漲るイメージである。
ゆずは、鍋や焼き物の添え物の柚子というよりは、どちらかというと絞った時、ピャッと汁が飛んできて、キャッとなる感じだし、
キマグレンは、流行った歌の歌詞は、泣き笑いも自由にできないというので、どえらい苦労人かと思いきや、日に焼けていて、とても辛酸をなめているとは思えない人々である。

さて、『ゆずグレン』。
ここに一つの疑問が生じる。

なぜ、『ゆずキマ』ではいけなかったのか?
関西風に『ゆずキマグ』でも納得がいく(『マクド』に倣って)。
ならば、なぜ、キマグレンの方は、前じゃなく後ろ、区切り方は『キマ』と『グレン』なのか?
この法則に従えば自由民主党、つまり自民党は自主党ということになり、とてもコツコツした人達の集団になるのである。

別段、『ゆずキマ』が、どこかの方言で卑猥なものがある、とかそういうこともないらしいですよ、ねえ、ボボブラジルさん。


今回のユニット名から推測すると、キマグレンは『気まぐれ』と『連』ではなく『きま』と『ぐれん』から成立することになる。『キマ』で思い当たる日本語はないし、一方の『グレン』にしても『愚連隊』はグレるから来ている言葉であって、『愚連』と独立させるものではないから当てはまらない。とるすと、残るはメラメラ炎の色である『紅蓮』。中華料理店か、あるいはビジュアル系の方々のような響きである。ドラムとか速そうな感じ?

結果『ゆずグレン』は、『真っ赤っかの柚子』ということになる。とても主張の強い柚子であって、武者小路実篤も色紙に描くことはないだろう。
おれは、赤い柚子を出されたら、ぎゅうぎゅう絞ろうと思う。

閑話休題
真っ赤といえば、今朝、おれの書斎で、草間彌生さんが赤い水玉の服を着て、牛乳を運んでいる夢を見た。なぜか草間さんは、ピッチャーをお盆の上で倒してしまい、それを、白っぽい着物を着た岩下志麻さんが「やあねえ」と言いながら助けていた。夢の中のおれの書斎は、絵描きのアトリエのようなところで、友達の写真家のAさんが「撮影に貸して〜」と言うので、おれは「いいよ〜どうぞ〜」と二つ返事でOKし、草間さんや岩下さん、そして淡々とスタンバイするAさんの様子を眺めていた。窓の外にはなぜか森本レオさんが散歩していた。とても鮮明な夢だった。

話はゆずグレンにもどって、仮に、おれがゆずとユニットを組んだら、そのときは『ゆず加藤』では、『ゆず屋の加藤』あるいは『ゆず農家の加藤』である。しからば、と『ゆずグレン』方式を選んだら
『ゆずャンプ』になってしまい、もはや読むことすら出来ない。
まあ、柑橘系なら、おれは岡林みかんとコラボしたいなあと思うのであった。 


 

スティーブン・キングに『クリスティーン』という小説がある。高校生が乗っているアメ車に怨念が吹き込まれていて、車が勝手に人を殺しまくるんである。よくわからん話だが、恐いことは恐い。
先日編集Hクンとの打ち合わせで話題にのぼったが、どうせ意志を持った車なら、やっぱり『ナイト2000』だね、ということで話が落ち着いた。欲しいのは相棒、つまりは友情であって、深情けはいらぬ。

さてさて、今日は、集中力が著しく低下していた。まあ、このところ、集中力の低下が甚だしい。つとめて気分転換が必要なのだった。ならば冷たい水を飲もう、と思いたって台所へ行った。
いつものように、冷蔵庫をドアを開ける。

ザバーー

いきなり水が降りかかってきた。おれは、たしかに、水を飲もうと思ってドアを開けたが、これはまったく勇み足サミー(バービーボーイズ)である。『玄関開けたら2分でご飯』というレンジ用白米があったが、あれも、「2分」が大事であって、『玄関開けたらご飯』では、早すぎるのである。わんこそばのタイミングがあわず、蕎麦が膝に落ちたような、まあ、それよりもおれは濡れた。
このところ、冷蔵庫の調子が悪く、設定温度が狂ってしまいがちだったので、これは遂に、霜とり機能がイカれたかと思ったが…はて、

非常に香しい…

吟香、芳香、芳醇、吟醸…吟醸?なのでった。
流れ出たのは吟醸、要するに水なんかではなく日本酒。
つまり、庫内にあった、一升瓶、これが都内某所からわざわざぶら下げて帰って来た代物であって、まだせいぜい2合しか飲んでなかったが、見れば瓶は殆ど空。残り8合が、滝のようにおれに降り掛かって来たのである。きき酒のことを専門家は『官能検査』という艶やかな呼び方をするが、まあ、台所中、官能まみれである。

優勝もしないのに、全身、酒シャワーまみれになったおれは、とりあえず、庫内にあるものをすべて外に出して、水洗い。その際、忘れ去られた遠い日に開封したジャムの瓶なども発見し、処分。それにしても、家中が酒蔵のようである。しかし、おれはちっとも酔わず、むしろ、淡々と作業をするうちに、目も神経もさえきっていた。

こぼれおちる酒を拭き取り、トレイをすべて出して潜在を使って洗って感想。庫内の壁もすっかり拭き取る。しかし、好きな酒をこれだけゾンザイに扱われると、なんだか「酒は控えろ」と言われているようである。知るか。
見れば、ドアについているモニターも意味不明に点滅している。はた、と思った。

これは冷蔵庫の悲鳴なんではあるまいか。メンテしてくれ、という涙(酒)の主張。すまんナイト2000。

そういえば、最近、冷蔵庫の調子が悪く、ちゃんと温度が下がらず、ただの茶箪笥化しつつあった。ビールなんて、すっかりイギリス風のぬるぬるである。そこで、電源を落とし、徹底的に庫内庫外を掃除。もちろん安静にしてから再びプラグイン。

なんということでしょう。

庫内温度はめきめきと下がり、ビールもキンキンに冷えている。というわけで、冷蔵庫は再びご機嫌を取り戻した。これからは、まめに下部の埃もとります。

しかし、ナイト2000はかように激しく主張するだろうか…。まさかクリスティーン…なんてことはない。断じてない。



 

書店へ行ったら、美輪明宏よりまっ黄色な髪の女子高生が一人で食い入るように立ち読みしている。しかも片手で携帯電話をいじりながら。器用である。何に夢中なのか?

「へんないきもの」

であった。「へんないきもの」という本は、深海魚など珍奇な姿形をした生物を集めて、その外見以上に風変わりな生態を記した本である。大変よく売れているらしい。それが証拠に、「へんないきもの」「またまたへんないきもの」と来て、今日の女子高生が読んでいたのが「せいぞろい へんないきもの」であった。
最初から「せいぞろい」を出してくれれば、初めの二冊は必要なかったのではなかろうか…まあ、そうだったら読者としては非常に有り難かったが、そうも行かぬのが世の常。
しかし、人間も動物ながら、他の動物をつかまえて「へんな いきもの」とは、なかなかやるなあ、である。イシガキリュウグウウミウシから見たら、こちらの方が余程「へん」かもしれぬ。

ところで、「何が売れるかわからない」という議論は、こういう仕事を始めてから、一体何度交わして来たかわからないが、まあ、実際、ああじゃこうじゃと算盤づくで考え抜いたものも、意外に世間では黙殺されることもままある。

以前、東南アジアの或る国の体操法の本を出したら、これがまったく売れない。当時ヨガも爆発的に流行っていたので、二匹目のドジョウという目論見でやったが、ペンペン草をドジョウに根こそぎ食われてしまったかのような凄惨な売り上げであった。
作った人間として、そのまま件の本が売れないと絶版になってしまうのは、やはりしのびないし、まあ、売れてほしいのが人情。どうにかならないか、と思っていたら、何故だか、あるテレビ番組で男性アイドルグループ(20世紀と21世紀がいるグループ)が、その体操法にチャレンジするものが放送された。

すると、まあ、放送の翌日、それまで100万位とかいう、天文学者も億劫がるようなランキングだった本が、いきなりベスト10に浮上し、そのまま、その週の週刊ベストセラー1位になってしまった。だからといって、「またまた」とか「せいぞろい」とかが出版される程の勢いにはならなかったが、まったくもって読者、つまり人間の動向はわからぬということを実感した次第。

90年代に一世風靡したTK何がしが執行猶予付きの実刑になったというニュースを見た。TKに関し、あそこまで寡占状態のようになるほど、なぜ流行したのか、はっきりした解説を耳にしたことがないが、まあ、流行ったのは事実なのであった。それにしても、彼にこんな未来が待ち受けていることを予想していた人がどれだけいただろうかしら。
とまれ、大金持ちで、ああいう感じになってしまう人は大昔から大勢いたこともたしかである。だから、おれたちは誰もが、とっくの昔から歴史的な「せいぞろい へんないきもの(流転版)」を目の当たりにしてきたはずだが、それでもなを転落はしばしばおこる。
やっぱり、人間こそ、へんないきもの、なんである。チャンチャン。

「いいから早くバリケードの中に入って!」

夢かと思ったら、隣の子供が遊んでいる声であった。一体何を封鎖しようとしているのか?

隣には小学校低学年くらいの姉と幼稚園くらいの妹の二人のこどもがいるが、最近暖かいせいかベランダを開放して遊ぶので、よく声が聴こえる。つい先日まではリコーダーの「ポポーポー」が流行の中心であったが、早くも廃れてきたらしい。時はうつろいやすい。

現在は「活動系」が好みらしく、今朝は「バリケード」とか「説得」とか「突破」とか、聞き捨て鳴らない不穏な単語を連発している。

発言の主は、おもに姉のほうらしく、妹のほうの声はほとんど聴こえない。面白いので、耳を峙てていたら、

「怒らないから、言いたいことは言って。それで納得すれば、こっち来て」

と、ベテラン幹部がオルグするみたいなことを言っている。子供のくせに手練である。

一体、この子らに、こんなにハードコアな発言をさせてしまう5月10日はどんな日かと調べてみたら、ボノと金正男とシド・ヴィシャスと永井一郎、橋田壽賀子らの誕生日であった。平壌でライブエイドをやったらピストルズが乱入するという筋書きで、演出は橋田壽賀子。映像のナレーションは波平なんてイベントは、一瞬たりとも目が離せない。まあ、こういう日だから、小学生が自宅をバリ封するなんてこともおこるのも自然の道理。…でもないか。

ちなみに、この日はシュトレーゼマンとノッポさん、さらには、『傷だらけの天使』の鈴木英夫まで、同じ誕生日なのである。極端も彼岸を過ぎてしまいそうな顔ぶれである。

まあ、かように朝っぱらから、すごくレボリューショナリーな日曜だったんだが、はて、5月といったら五月革命。安直な連想だが、今朝は、チビのバリ封シュプレヒコールによってそういう気分になり、勢いで一体何日がその日なのかと思って検索したら、なんとおれの誕生日と一緒であった。

感嘆しきり。使命感がもりもりとわきおこる、おれであった。
とまれ、こんなにカレンダーをいじくり、暦にこだわっても締め切りはかわらぬ…。すでにデッドラインを過ぎて、ひたすら平身低頭。すまんHクン。

「哲学的ゾンビ」というのがクオリアの説明にはしばしば登場する。クオリアというのは、まあ「感じ」ということらしい。「疼く感じ」とか「みかんのでこぼことブッラックマヨネーズの吉田の感じ」とか、まあ、概ねそんな感覚はみんなクオリアらしい(違うかもしらぬが、まあいい)。一方、人間の格好をしていながらクオリアが全くないのが「哲学的ゾンビ」というんだそうだ。

最近、そういう「哲学的ゾンビ」がいるんじゃないか、と思う場面に直面しがちなんである。誰がかといえば、おれなんである。

ゴールデンウィーク突入直前。
起きるのが遅いのと、毛繕い(いろいろと)が大変で、時間がない。それで新横浜ー東京間というセレブな通勤切符を購入することが比較的多いのだが、そんなラグジュアリーな切符を買おうというのに、いくら触っても自販機がまったく反応しないのである。JR東海は意外に商売っ気がない。
気を取り直して、隣にある自販機に再度挑戦したのだが、これも応答しない。しかたなく、指の数を一本ずつ増やしてみた(南斗聖拳シン)。二本でやってみたが、ダメ。さらには三本にしてみたがやはり奏功しない。四本指でヌメッとなでてみたらようやく反応したので、そのまま四本指でヌメヌメと触っていたら、隣にいた小学生の女子(モー娘みたいな服装)に怪訝な顔で観察されていた。いやはや剣呑。

同じ日、丸の内のかっこいいビルでトイレに入った。大である。最近は蓋も勝手に開くし、立てば流れる。そのビルも以前利用して、なんでも自動なのを知っていたのだが、そのつもりで入室したところ蓋が開かない。
しかたなく手で無理矢理あけて、坐ったら、今度は勝手に蓋が締まって来て、ガーガーとAIBOのような唸りをあげて背中を押すのである。だが、その押し加減は存外気持ちよく、これは実は新サービスなのではないかと勝手な解釈をして用を済ませ、立ち上がると、勢いよく流れ、ようやく人間として認められたような気がした。
さて、手を洗うべくシンクへ行った。だが、水が出ない。隣の紳士のは、ざあざあ流れているので、おれは、紳士が立ち去った瞬間、シンクを移動してみたが、おれのことは無視する肚らしい。いけず。
石けんも自動で出るらしいので、ためしたら、こちらはピンクの泡がどばっと出た。ならば、水だと思ったが、やはり出ない。それで、おれはピンクの泡まみれの手のまま、さらに隣のシンクに移ったが、こちらも反応ゼロ。しかたないので、再び、最初のシンクに戻ったら、水ではなく、またピンクがブワッと出た。
比較的、心に余裕があった上に、周りに誰もいなかったので、なんとなく、ためしに右足を上げながら手を近づけたら水が出た。止まったら大変なので、そのままシェーみたいな格好で手を洗っていたら、奥の個室から用をすませた若い男が出てきてしまい、またしても訝しげな目でこちらを見た。

とまれ、いずれも、機械がおれの人間的感じを認識しない事例は、考えようによっては、おれが、どこで反応するのかを感じることが出来ないからなんじゃないかと思ったりしたわけである。母さん、あのクオリア、どこへ行ったんでしょうね、である。

そういうわけで、今日、ある総菜屋で押さないと開かない式の自動ドア(勝手に開かないのに自動ドアと呼んでいいのかわからないが)が、いくら押しても開かないので、試しに四本指でヌメッと押しながら右足を押してみたが、結局開かず、中からあけてもらった。ドアを開けてくれた店員さんは、失笑していたようだが、おれはというと、微かに足がつっていて、それどころではなかった。否、少し嬉しかった。つまり、微妙に痛い感じ、を覚えたおれは、ああ、おれは哲学的ゾンビなんかじゃなく、普通の人間なのだと思って、やけに安心したのであった。

真夜中。携帯電話がなった。こんな時間に誰かしらと思ったが、携帯の画面を見ると馴染みおライターからである。なにやら、お悩みでもあるのか…。ボタンを押して耳元へ。

踏切の警笛だ。大きな音で耳が割れそうである。
こちらは「もしもし、もしもし」と何度も話しかけるがちっとも答えてくれない。
大丈夫か?もしかしてお願いしている仕事に行き詰まって、最期の電話…

「もしもし、もしもし、もしもーし!(絶叫)」

「カンカンカンカンカン…」

えええええ、やめてーーー。


「ゴォーーーーーーー…」

耳をつんざく列車の音が突然消え、ツーツーという機械音。再び静寂。切れてる。
無事か?大丈夫なのか?
慌てて電話をかけるが、全然出てくれない。どうした、一体どうしたんだ加藤ジャンプ!


そうです犯人はおれです。踏切で、携帯のボタンを誤って押してしまったのです。Hクン、一晩心配かけてすみませんでした。

最近、音にまつわる出来事がたてつづけにおこるのだった。

ゴールデンウィークに入り、隣家の娘も学校が休暇らしい。

休み中も勉学、とりわけ情操教育には積極的で、最近はリコーダーにご執心である。ここ何日か、時折、蛇使いみたいな楽曲を奏でている。楽器演奏の際、なぜかベランダの窓を開放したがる質らしく、非常によく聴こえる。
そして、今お気に入りは上の「ミ」らしい。

「ポポーポー」

と断続的に吹き鳴らすのが得意のリフ。おれがレミングなら着いて行って池に飛び込んでいるところだ。
さて、今ひとつ興が乗らない原稿を前に、おれはいろいろと、起爆剤になりうるような気の利いた一文を書きたく、ねちねちと考えていた。こういうものは、なんというか、

「ミカンのつかみ取り」(実在するかどうか知らぬ)

みたいなもので、似たようなものがグチャグチャに入っている中から、ほんの少しの手触りの違いを頼りに玉石混淆の中から、選び採るようなものである。だから、それなりに集中しているんだが、リコーダー少女はというと、何かいいアイデアに辿りつきそうだ、と思った瞬間、まあ、釣りのアタリみたいなものを感じた途端、

「ポポーポー」

風船を膨らまそうとしていたら、足元に猫がからんできた時のように、ふわっと気が抜ける。つまり、アイデアは雲の彼方へ。
気分転換に、ビートルズをかけたら、なぜか

「ポポーポー」「ポポーポー」「ポポーポー」が止まらない。

これでは、すべてフールオンザヒル・リミックスである。まいった。
しかたないので、「ジャジューカ」というブライアン・ジョーンズというストーンズの中心だったのに、馘首された挙げ句オーバードーズで亡くなった人がモロッコで集めた民族音楽で、ブライアンの呪いがかけられているなんていう噂もあるCDをかけてみた。

「ポポーポー」

驚くほどマッチした。そのせいか、

おれは、この音楽を鳴らしているのはおれの精神なのではないか、
ととても恐ろしい想像をしてみたが、やおら隣家の母親が、

「うるさい!」

と怒鳴ると、いきなり鳴り止んだ。ブライアンの呪いよりも母の一喝のご利益が勝った。
昨日、こんなことを書いて日記をほったらかしていたら、夜になって、忌野清志郎の訃報を耳にした。
今日は朝から隣では「ポポーポー」が鳴っていたが、おれの耳には、清志郎の歌しか聴こえない。

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