レッドクリフ2を再び、自腹で見て来た。
おれは仕事で見たものは必ず自分でも見ることにしている。映画で得たものは映画に投下したいのである。循環型のおれなのだった。
『ベン・ハー』やら『これがシネラマだ!』を見てきた身内の老婦人(80代)の二人を連れて見て来たのである。民主主義とスペクタクルを同時体験してきた世代に、はたしてジョン・ウーは響くのか、という実験的要素をふくんだ孝行なのであった。感想は「孔明の人かっこいいわね」であった。女子はいつまでも女子ということが実証された。
三国志というと、人間論とか、リーダー論とか、まあビジネス系の人がやたらに引用したがるもんである。今日もどこかで馬謖が切られる一方で三顧の礼で迎えられる人もいるわけである。だが、おれは、そういう朝礼的三国志愛好家ほどのオッサンでもないと思っていた…。
世代的に、『人形劇三国志』というのが三国志原体験なんである。
「よくまあ小さな人形であんなに演技ができるものだ」と感心していたので、数年後、わざわざ女子を誘って『人形の魔術師 川本喜八郎展』に行ってみたら、人形が、1m以上と、とても大きいことを知って落胆した。それが、三国志にまつわる一番の思い出なのであった。
そのぐらい、三国志は、いくらでも切り口のある話なんだが、この映画は、やっぱりちゃんとジョン・ウーなんである。つまり、この人が『北斗の拳』(『HK:1』とか略号にするのかしら?)を映画化したらイケルかもなんて思ったのである。
物語は、一番のクライマックス、というか、曹操がただ一度大敗を喫する赤壁の戦いを描く。パート1はいきなり鳩がパタパタ飛んでいって終ってしまい、もうウーさんったら!と、こちらが豆鉄砲をくらった。今作は、しっかり完結してくれるんで安心した。
たぶん、戦争の無為なことをうったえているんだろうが、それと同時に自分の目や耳で判断しなさい、ということを心地よく説教してくれる。孔明も周瑜もちゃんと現場にいる。情報やら報告を聞いて偉い人は遠くで判断。そういう伝聞でもって重大なことを決めてしまうのは、曹操で、この人は噂で人は殺すは、少女時代しか知らない女性にいつまでも執着していて、絶世の美女なんていう噂にこだわりつづけているのであった。
知識も情報も所詮は先入観であって、そういうものが本質を見極めるのにどれだけ役立つかというときわめない限り実は全然役立たない。
20年近く前に予備校の現国の先生に結局、小林秀雄はどういうことを言ってるんだ、と問われ
「女子大生とか、女子高生とかそういうことではなく、女の人のありのままを見よ、ということじゃないですか」
と答えたら、面白がってくれた。では、女子大生やら女子高生やら一度先入観をおぼえてしまったら、ありのままを見るなんて無理ではないか、と問いつめるので、
「色気づいたら、徹底的にすけべになれ、ということですか」
嫌な顔をされたが、否定もされなかった。それで、あながち的外れではないと思ってしまったので、たぶん何も小林秀雄なんてちっとも理解できていないんだろう。とまれ、レッドクリフを見ていたら、そんな理屈っぽいことを思い出してしまって、それは三国志をリーダー論として語るオジ様達となんらかわらぬ。おれもいいオッサンになったもんだと思った次第。
2時間以上もある映画なので、終ってからトイレに行った。姿見があったので、思わずコートの裾をひるがえし、見栄を切ってしまった。やっぱり、ちゃんとした三国志の映画であった。